大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

一本のなでしこ植ゑしその心・・・巻第18-4070~4072

訓読 >>>

4070
一本(ひともと)のなでしこ植ゑしその心(こころ)誰(た)れに見せむと思ひそめけむ

4071
しなざかる越(こし)の君らとかくしこそ柳(やなぎ)かづらき楽しく遊ばめ

4072
ぬばたまの夜(よ)渡る月を幾夜(いくよ)経(ふ)と数(よ)みつつ妹(いも)は我(わ)れ待つらむぞ

 

要旨 >>>

〈4070〉一株のなでしこを庭に植えたその心は、いったい誰に見せようと思いついてのことだったのでしょう。

〈4071〉都から遠く離れた越の国のあなたがたと、これからもこのように柳を縵(かずら)にして遊ぼうではありませんか。

〈4072〉夜空を渡っていく月を眺めながら、もう幾夜を経たかと数えながら、妻は私を待っていることだろう。

 

鑑賞 >>>

 越中国で、前任の国師(こくし)の従僧(じゅうそう)清見(せいけん)が上京するに際し、送別の酒宴を設けた時に大伴家持が詠んだ歌。「国師」は、中央から派遣され、その国の寺院僧尼を監督する僧で、ここの国師が誰かは不明。「従僧」は、その従者である僧で、いずれも僧侶であるものの官人の身分にありました。「清見」の伝未詳。国師の交替に伴って京に帰ることになったもののようです。

 4070は、庭の中のなでしこの花を詠んだ歌。清見への送別の辞で、花が咲くのに先立って上京する相手を惜しむ気持ちをうたっています。家持と清見は親しかったようです。4071は、この会に集まった郡司以下、その子弟らに向けて詠んだ歌。郡司本人だけでなくその子弟も招待していることは注目すべきで、郡司と良好な関係を築くために必要だったと見えます。「しなざかる」は「越」の枕詞。「かくしこそ」は、このように。4072の左注に「この夜、月光がゆるやかに流れ、穏やかな春の風が少しずつ吹いてくる。そこで、目に触れた月を題材に、とりあえずこの歌を作った」とあり、遠方から集まった人たちの旅愁の気持ちを慮って、自身のことのようにして詠んだもののようです。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。

 なお、ここの歌が詠まれたのは天平20年(748年)4月とされ、その次にある4073の歌(越前国の掾、大伴池主が家持に贈ってきた歌)の日付が天平21年3月15日となっており、この間約1年の空白が生じています。巻第18の合計の歌数107首というのは、巻第1、巻第16に次いで少なく、何らかの理由で約1年間の作が脱落したものと考えられています。この巻第18は、早くから破損が甚だしかったらしく、平安期になってから補修作業が大規模に行われたらしいことも現在では分かっています。

 一方、天平20年4月21日に元正太上天皇が亡くなっており、家持にとって、天平18年正月に橘諸兄に諸王臣らと共に随行し、太上天皇の御在所で雪かきの奉仕を行い、さらに宴で「雪を賦す」歌を作った思い出が大きかったはずです。約1年間の歌作の空白は、あるいは「君」に対する服喪の期間を示しているのかもしれません。