大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

筑波嶺を外のみ見つつありかねて・・・巻第3-382~383

訓読 >>>

382
鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国に 高山(たかやま)は さはにあれども 二神(ふたがみ)の 貴(たふと)き山の 並(な)み立ちの 見(み)が欲(ほ)し山と 神代(かみよ)より 人の言ひ継ぎ 国見(くにみ)する 筑波(つくは)の山を 冬ごもり 時じき時と 見ずて行かば 増して恋(こひ)しみ 雪消(ゆきげ)する 山道(やまみち)すらを なづみぞ我(あ)が来(け)る

383
筑波嶺(つくはね)を外(よそ)のみ見つつありかねて雪消(ゆきげ)の道をなづみ来(け)るかも

 

要旨 >>>

〈382〉ここ東の国には高い山がたくさんあるけれども、男神と女神の二神の貴い山が並び立つ姿はぜひ見ておくべきと、神代の昔から言い継がれ、国見が行われてきた筑波山。冬の終わりはその時期ではないというので、見ずに過ぎればいっそう恋しくなるだろうと、雪解けの山道にかかわらず、難渋しながら私はやって来た。

〈383〉筑波山をよそながら見ているだけではいられなくて、雪解け道にかかわらず、難渋しながらやってきた。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「筑波の岳(たけ)に登りて作る」とある歌。作者の丹比真人国人(たじひのまひとくにひと)は、出雲守、播磨守、大宰少弐(だざいのしょうに)を歴任、天平勝宝3年(751年)に従四位下に進み、のち摂津大夫、遠江守となりましたが、橘奈良麻呂の変に連座して伊豆に流された人です。この歌は、何らかの官命を帯びてこの地に来て詠んだ歌のようです。

 「筑波の岳」は、筑波山。「鶏が鳴く」は「東」の枕詞。「二神」は、筑波山の男山と女山の2峰のこと。「冬ごもり」は、冬の終わり。枕詞ではなく、単に季節を表した語。「時じき時と」は、その時ではない時。「なづみ」は、難渋する意。