大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

鳴る神の音のみ聞きし巻向の・・・巻第7-1092~1094

訓読 >>>

1092
鳴る神の音(おと)のみ聞きし巻向(まきむく)の桧原(ひはら)の山を今日(けふ)見つるかも
1093
三諸(みもろ)のその山なみに子らが手を巻向山(まきむくやま)は継ぎしよろしも
1094
我(わ)が衣(ころも)色取り染(そ)めむ味酒(うまさけ)三室(みもろ)の山は黄葉(もみち)しにけり

 

要旨 >>>

〈1092〉噂にだけ聞いていた巻向の桧原の山を、今日見ましたよ。

〈1093〉三輪山の山続きに美しい山が見える。それがあの可愛い人の手を巻くという名の巻向山なのか、うまくつながっていることだ。

〈1094〉私の衣にも色を付けて染めたいものだ。三輪山はすっかり紅葉している。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から「山を詠む」歌。「巻向」は、奈良県桜井市北部の地。1092の「鳴る神の」は雷のことで「音」にかかる枕詞。「桧原」は桧(ひのき)の生える原。1093の「三諸」は神の来臨する盛り上がった土地の意で、ここでは「三輪山」を指します。三輪山桜井市の南東にそびえる山で、別に真穂御諸山(まほみもろやま)といいます。ここに来臨するという三輪の神は、大和国に斎く神々のうち、皇室の守護神としてもっとも尊崇されていた神であり、巻向山がその山に続いていることを讃えている歌です。「子らが手を」は「巻向山」の枕詞。1094の「味酒」は、神に供える酒をみわといったので、同音の「三室(三輪山)」にかかる枕詞。衣を黄葉に染めたいというのは、三室の山の霊力を授かりたいとの呪術的な意味が込められています。

 これら3首は、歌の中心を、桧原の山、巻向山、三室の山(三輪山)と順に変えて詠んでいるので、同時に作った一連の作とみられています。人麻呂のことを「愛の歌人」といっていた作歌の田辺聖子さんは、また次のようにも述べています。「(人麻呂は)愛の歌人ではあるが、また叙景歌にみなぎる彼の緊張感にも特徴がある。人麻呂は自然を詠むときも、相聞や挽歌を詠むときと同じような濃密な情感を、塗りこめずにはいられないらしい。その点、清新な自然を、清新に素直にうたいあげる赤人とはちがうようである。しかし人麻呂の力づよい叙景歌も、それはそれで躍動感があって美しい」。