大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

苦しくも降り来る雨か・・・巻第3-265

訓読 >>>

苦しくも降り来る雨か三輪(みわ)の崎(さき)狭野(さの)の渡りに家もあらなくに

 

要旨 >>>

何と鬱陶しいことに雨が降ってきた。三輪の崎の狭野の渡し場に、雨宿りする家もないのに。

 

鑑賞 >>>

 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が、何らかの命を帯びて紀伊へ旅した時の歌です。「三輪の崎」は、和歌山県新宮市の三輪の崎。「狭野の渡り」は、今の新宮港あたり。

 なお、「家もあらなくに」の解釈は、最近では「家の者もいないのに」とするのが主流になってきています。『万葉集』に登場する「家」と「宿」の比較研究において、「家」を主語として「居り」「恋ふ」「念ふ」「待つ」などの述語を伴う例が多いことから、「家」は人格的に表現された語であり、家人、家庭とほぼ同じ意味であると考えられ、一方、「家」を建造物そのものと解される例も少なからずあるが、もっぱら「宿」が建造物そのものとして捉えられている、と。その考え方に従えば、この歌は、雨に濡れた衣を乾かしてくれる等あれこれ世話をしてくれる妻のことを思い、さらにその妻と遠く離れていることを実感してうたわれたものと解釈されます。

 斎藤茂吉はこの歌について、「第2句で『降り来る雨か』と詠嘆して、うったえるような響きを持たせたのにこの歌の中心がある。そして心が順直に表され、無理なく受け容れられるので、古来万葉の秀歌とされた」と述べています。

 後の藤原定家はこの歌を「本歌取り」し、「駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮」という歌を詠んでいます。「本歌取り」というのは、古歌のことばや内容などをそのまま用いることで、古歌が描く世界を自作の歌の背景に採り入れ、二重映しの効果を得る方法で、定家が理論づけ、『新古今集』でもっとも盛んに行われました。しかし、定家のこの歌の本歌取りに対しては、「意吉麻呂は実地に旅行しているのでこれだけの歌を作り得た。定家の空想的模倣歌などと比較すべき性質のものではない」と述べています。

 長忌寸意吉麻呂(生没年未詳)は、渡来人の裔(すえ)であり、柿本人麻呂高市黒人などと同じ時期に宮廷に仕えた下級官吏だったとされます。行幸の際の応詔歌、羇旅歌、また宴席などで会衆の要望にこたえた歌、数種の物の名前を詠み込んだ歌、滑稽な歌など、いずれも短歌の計14首を残しています。