大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大伴坂上郎女が大伴家持に贈った歌・・・巻第17-3927~3930

訓読 >>>

3927
草枕(くさまくら)旅行く君を幸(さき)くあれと斎瓮(いはひべ)据(す)ゑつ我(あ)が床(とこ)の辺(へ)に

3928
今のごと恋しく君が思ほえばいかにかもせむするすべのなさ

3929
旅に去(い)にし君しも継(つ)ぎて夢(いめ)に見ゆ我(あ)が片恋(かたこひ)の繁(しげ)ければかも

3930
道の中(なか)国(くに)つ御神(みかみ)は旅行きもし知らぬ君を恵(めぐ)みたまはな

 

要旨 >>>

〈3927〉任地に赴くあなたが無事であれ、斎瓮を据えて祈りました。私の床の辺に。

〈3928〉今のようにこんなに恋しくあなたのことが思われるのに、これからどうしたらいいのでしょう。するべき方法もないことです。

〈3929〉旅に行ってしまったあなたのことが次々に夢に出てきます。私の片恋が激しいせいでしょうか。

〈3930〉越中の国を支配なさっている神よ、旅に行く経験もないあの人を、どうかお守り下さい。

 

鑑賞 >>>

 天平18年(746年)3月の人事で、29歳の大伴家持は宮内少輔に任命され、次いで6月に越中国守に任命されました。当時の越中国は、射水・礪波・婦負・新川郡のほか、羽咋・鳳至・能登珠洲郡を含む8郡からなり、国の等級では「大国」に次ぐ「上国」にランク付けされていました。

 3927・3928は、家持が任地に赴く時に、坂上郎女が作った歌。3929・3930は、越中に着任した時にさらに贈った歌。あたかも家持の妻の坂上大嬢の歌ではないかと思われるほどの心情が込められています。坂上郎女にとって、家持はそれほどに愛すべき甥だったことが窺われます。

 この点について作家の大嶽洋子は次のように述べています。「これは姑が娘婿に贈る歌としては、ちょっと過激ではないだろうか。(中略)坂上郎女が晩年に苦しい恋をした相手とは、家持ではないだろうか。誰にも漏らすことのできない秘密。お互いに感じとっていても決して現実の言葉とも事実ともなり得ない感情の負の部分。この時期の郎女の歌には註が長くついていて、『たわむれに詠んだ』ことを強調している。だが、美しい叫びのような香りに満ちた歌には、みじんの遊びの雰囲気は感じとれない」。そして、「母は娘を愛し、娘は母を愛し、その二人のいずれをも愛した家持。三人が三様に苦しんで、大嬢はときを待ち、家持はかりそめの恋愛三昧を演出したのではないだろうか。そして坂上大嬢が越中に出向き、初めて母親の強い引力から物理的にも、精神的にも離れることで、この魂の地獄からの落着を得たのではないか。以降、家持は歌境も冴えわたり、詩人としても、男性としても、一段と魅力を増したと私は思う」

 3927の「草枕」は「旅」の枕詞。「斎瓮」は、神に供える酒を入れる瓶。「床の辺に」に据えるのは、当時の定まった慣わしになっていたもの。3930の「道の中」は、越中国を「越の道の中の国」と呼んでいたので、越中の意味。「国つ御神」は、その国を守護する神。「し知らぬ」は、するのを知らない、経験のない意。「恵みたまはな」の「な」は、相手に希望や願望を示す助詞。