大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(27)・・・巻第14-3459

訓読 >>>

稲つけば皹(かか)る我(あ)が手を今夜(こよひ)もか殿(との)の若子(わくご)が取りて嘆かむ

 

要旨 >>>

稲をついて赤くひび割れた私の手を、今夜もまたお屋敷の若様がお取りになって、かわいそうにとお嘆きになるのでしょうか。

 

鑑賞 >>>

 「稲つけば」は、籾殻を除くために籾を臼でつくことで、当時は食物の貯蔵が難しかったために、一食ごとにこの作業を行っていました。「皹る」は、アカギレが切れること。「殿の若子」は、お屋敷の若様。下働きの娘と若様の、人目を忍ぶ身分違いの恋の歌ですが、実際の個人の歌というより、作業する女たちの労働歌だったとみられています。

 斎藤茂吉は、「この歌には、身分のいい青年に接近している若い農小婦の純粋なつつましい語気が聞かれるので、それで吾々は感にたえぬ程になるのだが、とく味わえばやはり一般民謡の特質に触れるのである。併しこれだけの民謡を生んだのは、まさに世界一流の民謡国だという証拠である」と言っています。

 なお、当時の地方は中央から派遣された国司(守のほか介・掾・目)によって一国が経営されましたが、実際に庶民と接するのは当地の有力者から任命される郡司でした。郡の役所である郡家(ぐうけ)には、長官の大領の下に少領・主政・主典がいて、各村の里長をとおして村人たちを統括していました。東歌に見られる「殿」や「殿の若子」というのは、この郡家の役人やその子供をさすものとみられています。

 

巻第14と東歌について

 巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれを部立ごとに分類しています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川信濃川を結んだ以東、すなわち、遠江駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総・常陸信濃・上野・下野・陸奥の国々をさしています。『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。

 もっともこれらの歌は東国の民衆の生の声と見ることには疑問が持たれており、すべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、中央側が何らかの手を加えて収録したものと見られています。また、東歌を集めた巻第14があえて独立しているのも、朝廷の威力が東国にまで及んでいることを示すためだったとされます。