大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

春山の霧に惑へる鴬も・・・巻第10-1891~1893

訓読 >>>

1891
冬こもり春咲く花を手折(たを)り持ち千(ち)たびの限り恋ひわたるかも

1892
春山の霧(きり)に惑(まと)へる鴬(うぐひす)も我(わ)れにまさりて物思(ものも)はめやも

1893
出(い)でて見る向(むか)ひの岡に本(もと)茂(しげ)く咲きたる花の成(な)らずは止(や)まじ

 

要旨 >>>

〈1891〉冬が去って春に咲いた花を手折り持っては、限りなくあなたを恋し続けています

〈1892〉春山の霧の中に迷い込んだウグイスでさえ、この私にまさって物思いにまどうことはないでしょう。

〈1893〉家を出てすぐに見える向かいの岡に、根元までいっぱいに咲いている花が、やがて実を結ぶように、この恋を実らせないではおかないつもりです。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から、女の歌。1891の「冬こもり」は「春」の枕詞。「千たびの限り」は、際限のないほど数多く。1892の「霧」について、同じ視界を遮る現象である「霞」との区別は、霞が自分とは距離を隔てた所にあるのに対し、霧は自らをも包み込んでしまうものと把握されていたといいます。ここではウグイスを近く取り巻いているので「霧」と言っています。1893の「本」は、木の根元。上4句は「成る」を導く序詞。「成る」は恋を実らせる喩え。