大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

こもりくの泊瀬の山の・・・巻第3-428

訓読 >>>

こもりくの泊瀬(はつせ)の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹(いも)にかもあらむ

 

要旨 >>>

泊瀬の山のあたりに漂っている雲は、亡くなった乙女なのだろうか。

 

鑑賞 >>>

 亡くなった土形娘子(ひじかたのおとめ)を泊瀬山に火葬した時に柿本人麻呂が作った歌。土形娘子は文武朝の宮女ではないかとされます。「こもりくの」は「泊瀬」の枕詞。「泊瀬」は、古代大和朝廷の聖地であると同時に、葬送の地でもありました。天武天皇の時代に長谷寺が創建され、今なお信仰の地であり続けています。また、火葬の始まりは『続日本紀』では文武4年(700年)、僧道照の死に始まるとされますが、実際はもっと古くから行われていたとみられています。「いさよふ」は、漂っている。

 上代の人々は、空を漂う雲に神秘を感じ、また、死は魂が身から離れるものと捉えていました。人麻呂はその信仰の上に立ち、火葬の煙を雲と見て娘子の魂を感じています。窪田空穂はこの歌を「きわめて敬虔な調べ」と評しています。