大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

我が背子は相思はずとも・・・巻第4-613~617

訓読 >>>

613
もの思(も)ふと人に見えじとなまじひに常(つね)に思へり在(あ)りぞかねつる

614
相思(あひおも)はぬ人をやもとな白栲(しろたへ)の袖(そで)漬(ひ)つまでに音(ね)のみし泣くも

615
我(わ)が背子(せこ)は相思(あふおも)はずとも敷栲(しきたへ)の君が枕(まくら)は夢(いめ)に見えこそ

616
剣大刀(つるぎたち)名の惜(を)しけくも我(わ)れはなし君に逢はずて年の経(へ)ぬれば

617
葦辺(あしへ)より満ち来る潮(しほ)のいや増しに思へか君が忘れかねつる

 

要旨 >>>

〈613〉物思いをしているのを人に気づかれまいと、無理に平気を装っています。でも本当は生きていられぬほどなのに。

〈614〉私の片思いとは分かってはいますが、ただむやみに、袖がぐっしょりと濡れるまで泣くばかりでいます。

〈615〉あなたは私のことを思って下さいませんが、せめて共寝するあなたの枕くらいは夢に出てきてほしいのです。

〈616〉私は今さら浮名が立つのを惜しく思いません。あなたに逢えずに、こんなに年が過ぎてしまったのですから。

〈617〉葦原のあたりに潮がじわじわと満ちて来るように、あなたへの思いが増してきて忘れようにも忘れられません。

 

鑑賞 >>>

 山口女王(やまぐちのおおきみ:伝未詳)が大伴家持に贈った歌5首。613の「なまじひに」は、無理に、できもしないのに、の意。「在りぞかねつる」の「在り」は、生きていること。614の「白栲の」は「袖」の枕詞。「もとな」は、むやみに。「漬つ」は、濡れる。615の「敷栲の」は「枕」の枕詞。「夢に見えこそ」の「こそ」は、願望を表す助詞。616の「剣太刀」は「名」の枕詞。617の上2句は「いや増しに」を導く序詞。「いや増しに」は、いよいよ増しての意。

 615は、相手が思ってくれると夢にその姿が見えるという俗信を踏まえ、相手の代わりにせめて枕だけでも夢に出てほしいと言っています。あの手この手?で訴えかけてくる山口女王に対して、家持はどんな気持ちでいたのでしょうか。もっとも、山口女王は、臣下との結婚には制限を付けられていた皇族だったとみられ(臣下との結婚が認められていたのは5世からの皇族、山口女王は3世以内)、家持にとって恋愛の対象になりうる身分の女性ではなかったはずです。そこで、家持から一定期間の間、歌を習った関係にあったのではないかとの見方があります。