大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

高円山に迫めたれば・・・巻第6-1028

訓読 >>>

ますらをの高円山(たかまとやま)に迫(せ)めたれば里(さと)に下り来(け)るむざさびぞこれ

 

要旨 >>>

勇士たちが高円山で追い詰めましたので、里に下りてきたムササビでございます、これは。

 

鑑賞 >>>

 大伴坂上郎女の歌。題詞に次のような説明があります。「天平11年(739年)、聖武天皇が高円の野で狩猟をなさった時に、小さな獣が都の市中に逃げ込んだ。その時たまたま勇士に出会って、生きたまま捕らえられた。そこで、この獣を天皇の御在所に献上するのに添えた歌。獣の名は俗にむざさびという」。ところが、左注に「まだ奏上を経ないうちに小さな獣は死んでしまった。そのため、歌を献上するのを中止した」。

 「高円の野」は、奈良市東南部の丘陵地帯。そこに聖武天皇離宮がありました。「むざさび」は、ムササビのこと。この時、坂上郎女ら女官は麓に控えていたようで、逃げ回るムササビに大騒ぎになったといいます。坂上郎女は、旅人亡き後は大伴氏嫡流の大納言家を取り仕切る立場にありましたから、天皇に歌を献上する役割もあったとみえます。なお、『万葉集』には、ムササビを取り上げた歌が3首あります。

 

大伴坂上郎女の略年譜

大伴安麻呂石川内命婦の間に生まれるが、生年未詳
16~17歳頃に穂積皇子に嫁す
715年、穂積皇子が死去。その後、宮廷に留まり命婦として仕えたか。
藤原麻呂の恋人になるが、しばらくして別れる
724年頃、異母兄の大伴宿奈麻呂に嫁す
坂上大嬢と坂上二嬢を生む
727年、異母兄の大伴旅人が太宰帥になる
728年頃、旅人の妻が死去。坂上郎女が大宰府に赴き、家持と書持を養育
730年 旅人が大納言となり帰郷。郎女も帰京
730年、旅人が死去。郎女は本宅の佐保邸で刀自として家政を取り仕切る
746年、娘婿となった家持が国守として越中国に赴任
750年、越中国の家持に同行していた娘の大嬢に歌を贈る(郎女の最後の歌)
没年未詳