訓読 >>>
274
我(わ)が舟は比良(ひら)の港に漕ぎ泊(は)てむ沖へな離(さか)りさ夜(よ)更けにけり
275
何処(いづく)にか我(わ)が宿(やど)りせむ高島(たかしま)の勝野(かちの)の原にこの日暮れなば
276
妹(いも)も我(あ)れも一つなれかも三河なる二見(ふたみ)の道ゆ別れかねつる
277
早(はや)来ても見てましものを山背(やましろ)の高(たか)の槻群(つきむら)散りにけるかも
要旨 >>>
〈274〉この船は比良の港に停泊しよう。夜も更けているので、岸から遠く離れないように。
〈275〉今夜は何処に宿ろうか。高島の勝野の原にこの日が暮れてしまうというのに。
〈276〉お前も私も一つだからだろうか、この三河の二見の道から別れることができない。
〈277〉もっと早く来て見ればよかった。山背の多賀の、紅葉が美しい欅(けやき)の木々の葉はもう散ってしまっていた。
鑑賞 >>>
題詞に「高市連黒人が羈旅の歌八首」とあるうちの4首。274は、自分の乗る船を漕いでいる楫取りに呼びかけ、夜の舟行きを心配している歌です。「比良」は、琵琶湖の西岸の地。「な離り」の「な」は禁止。275の「高島」は、滋賀県高島市で、「勝野の原」は比良の北方に広がる野原。この時代の旅行では、その日その日の宿りが最大の関心事であり、そのような場所で夕暮れを迎えてしまった不安を歌っています。「何処にか」は黒人の口ぐせでもあったようで、巻第1-58でも「何処にか船泊すらむ・・・」と歌っています。
276はの「二見の道」は、浜名湖の北側、愛知県豊川市の姫街道。旅先で接待を受けた遊行女婦との別れを惜しんだ歌とされ、歌の中に「一・三・二」の数字を配した言葉遊びになっています。また左注に、或る本に「三河の二見の道ゆ別れなば我が背も我もひとりかも行かむ」とあるといって、女からの返歌(または土地の歌)が載せられています。あるいは宴会の中で男役・女役に分かれて歌い合ったものかもしれません。
277の「山背の高」は、京都府綴喜郡井手町多賀。「槻」は、欅(けやき)の古名。かつては「高槻の群(たかつきのむら)」と訓み、「高く槻の木の生えた木群」と解していたようです。斎藤茂吉は「高というのは郷の名でも、作者の意識には『高い槻の木』ということをほのめかそうとしたのであったのかも知れない。そうすれば、従来の説に従って味わってきたように味わうこともできる」と言っています。