大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

【為ご参考】歌風の変遷について

 『万葉集』は、5世紀前半以降の約450年間にわたる作品を収めていますが、実質上の万葉時代は、舒明天皇が即位した629年から奈良時代の759年にいたる130年間をいいます。その間にも歌風の変遷が認められ、ふつうは大きく4期に分けられます。

 

 第1期は、「初期万葉」と呼ばれ、舒明天皇の時代(629~641年)から壬申の乱(672年)までの時代です。大化の改新から、有間皇子事件・新羅出兵・白村江の戦い・近江遷都・壬申の乱にいたる激動期にあたります。中央集権体制の基礎がつくられ、また、中国文化の影響を大きく受け、天智天皇のころには漢文学が盛んになりました。第1期は万葉歌風の萌芽期といえ、古代歌謡の特色である集団性・口誦性が受け継がれ、やがて個の自覚を見るようになります。おもな歌人として、天智天皇天武天皇額田王・鏡王女・有間皇子藤原鎌足などがあげられます。

 第2期は、平城京遷都(710年)までの、天武・持統天皇の時代です。壬申の乱を経て安定と繁栄を迎えた時代で、歌は口誦から記載文学へ変化しました。万葉歌風の確立・完成期ともいえ、集団から個人の心情を詠うようになり、おおらかで力強い歌が多いのが特徴です。おもな歌人として、持統天皇大津皇子・大伯皇女・志貴皇子・穂積皇子・但馬皇女石川郎女柿本人麻呂高市黒人・長意吉麻呂などがあげられます。

 第3期は、山部赤人山上憶良の時代で、憶良が亡くなる733年までの時代です。宮廷貴族の間に雅やかな風が強まり、中でも山部赤人は自然を客観的にとらえ、優美に表現しました。一方、九州の大宰府では、大伴旅人山上憶良が中心となって筑紫歌壇を形成、また、高橋虫麻呂は東国に旅して伝説や旅情を詠うなど、多彩で個性的な歌人が活躍した時代でもあります。

 第4期は、大伴家持の時代で、最後の歌が詠まれた759年までです。国分寺の創建、大仏開眼などもありましたが、藤原広嗣の乱橘奈良麻呂の変など、政治が不安定になった時代です。万葉歌風の爛熟期といえ、歌風は知的・観念的になり、生命感や迫力、素朴さは薄れてきました。平安和歌への過渡期の様相を示しているといってよいでしょう。おもな歌人として、家持のほか、大伴坂上郎女・笠郎女・中臣宅守・狭野弟上娘子などがあげられます。

 

大伴家持