訓読 >>>
828
人ごとに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも
829
梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや
830
万代(よろづよ)に年は来(き)経(ふ)とも梅の花絶ゆることなく咲き渡るべし
831
春なれば宜(うべ)も咲きたる梅の花君を思ふと夜眠(よい)も寝なくに
832
梅の花折りてかざせる諸人(もろひと)は今日(けふ)の間(あひだ)は楽しくあるべし
833
年のはに春の来(きた)らばかくしこそ梅をかざして楽しく飲まめ
要旨 >>>
〈828〉人それぞれに手折って髪飾りにして楽しんでいるけれど、何とも素晴らしい梅の花だろう。
〈829〉梅の花が散ると、続いて桜の花が咲くようになっているではないか。
〈830〉万年の後までも、梅の花が絶えることなく咲き続けて欲しいものだ。
〈831〉春になったといって、とても美しく咲いた梅の花よ、あなたのことを思うと、夜もよく寝られません。
〈832〉梅の枝を手折って髪飾りにしている人々は、今日一日は何もかも忘れて楽しもうではありませんか。
〈833〉年々春が来たら、こうして梅をかざして楽しく飲もうではありませんか。
鑑賞 >>>
828は、丹氏麻呂(たんじのまろ)の歌。
829は、張子福子(ちょうしのふくし)の歌。
830は、佐氏子首(さしのこおびと)の歌。
831は、板氏安麿(はんしのやすまろ)の歌。
832は、荒氏稲布(あらうじのいなしき)の歌。
833は、野氏宿奈麻呂(やじのすくなまろ)の歌。
828の「いや」は、いよいよ、ますます。「めづらしき」は、素晴らしい。829の「継ぎて」は、続いて。830の「来経」は、過ぎて行く。「べし」は推量の助詞。831の「うべも」は、なるほど、もっともなことに。「君」は梅を君子に喩えており、漢詩文の影響と、梅がまだ珍しいものであったための敬称と見られます。832の「諸人」は、多くの人々。第三者のような距離を置いた言い方をしているのは、官位の低い者の意識によっているとされます。833の「年のはに」は、毎年。