大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

春の花今は盛りににほふらむ・・・巻第17-3965~3968

訓読 >>>

3965
春の花今は盛(さか)りににほふらむ折りてかざさむ手力(たぢから)もがも

3966
鴬(うぐひす)の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折(たを)りかざさむ

3967
山峽(やまがひ)に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ

3968
鴬(うぐひす)の来(き)鳴く山吹(やまぶき)うたがたも君が手触れず花散らめやも

 

要旨 >>>

〈3965〉春の花は、今は盛りと咲きにおっていることだろう。手折ってかざしにできる手力がほしい。

〈3966〉ウグイスが鳴いては散らしているだろう春の花、その花をいつあなたと共に手折ってかざしにしようか。

〈3967〉山間に咲いている桜を、ひと目だけでもあなたにお見せできたら、何の心残りがありましょう。

〈3968〉ウグイスが来て鳴いている山吹の花は、決してあなたが手に取るまで散ってしまうことはないでしょう。

 

鑑賞 >>>

 3965・3966は、病床の大伴家持が、2月29日に大伴池主に贈った悲歌2首。その前に、次のような内容の序文(池主に宛てた手紙文)が記されています。

 ――にわかに不慮の病にかかり、旬日を重ねて痛み、苦しんでおりました。ありとあらゆる神々に祈っておすがりしたおかげで、ようやく少し楽になりました。けれども、まだ体には痛みや疲れが残っていて力が入りません。まだお見舞いのお礼に伺うことができず、お逢いしたい思いはますます深まります。今、春の朝には、春の花が香りを春の庭園に漂わせ、夕暮れには、春のウグイスが春の林に声を響かせています。こんな季節には、琴と酒こそ望ましいもの。それに興じたい思いはありますが、杖を突いて出かける力がありません。ひとり部屋の帳(とばり)の陰に横になって、つたない歌を作ってみました。軽々しくもあなたのご机辺に奉り、ご笑覧いただこうと思います。――

 3965の「にほふ」は色美しく咲く意。「もがも」は、願望。3966の「いつしか」は、いつ、早く。

 これに返した池主の歌が3967・3968です。二人の贈答はさらに続き、3月3日には長文の序に加えた3首の和歌を池主のもとに送り、池主はすかさず翌4日に漢文の序と七言律詩を、さらに5日にも漢文の序と長歌および短歌2首を贈り、家持も負けじと同じ5日に漢文の序と七言律詩、および短歌2首を返しています。