訓読 >>>
1073
玉垂(たまだれ)の小簾(をす)の間(ま)通しひとり居て見る験(しるし)なき夕月夜(ゆふづくよ)かも
1074
春日山(かすがやま)押して照らせるこの月は妹(いも)が庭にも清(さや)けかりけり
要旨 >>>
〈1073〉家のすだれの隙間ごしに、ただ一人で見ていると、甲斐のない思いをする、この夕月よ。
〈1074〉春日山の一面に照り渡っているこの月は、私の恋人の庭にもさやかに照っていることだよ。
鑑賞 >>>
「月を詠む」歌。1073の「玉垂の」の「玉垂」は玉を緒に貫いて垂らしたもので、意味で「緒」と続き、「小簾」の枕詞(修飾語と見る説もあります)。「小簾」の「小」は接頭語、「簾」は、すだれ。上代の簾は、竹を小さく切って緒で貫き、それを並べて垂らしたとされます。「見る験なき」は、見る甲斐がない。「夕月夜」は、夕月。夕方の空にかかっている月で、15日よりも前の月。「かも」は、詠嘆。夫の来訪を待ちながら、一人月を見ている女の歌とみえます。
1074の「春日山」は、奈良市東部にある山で、今の春日山・御蓋山・若草山などの総称。「押して照らせる」は、光が上から押すように強く照らしているさま。「この月は」は、この今宵の月は。「清けかりけり」の「清けし」は、鮮明なさまから生じるさやかな情感。「けり」は、詠嘆。一帯を照らす月明かりの中、愛しい女の家にやって来たら、その庭にも月の光がさやかに差し込んでいた、その感慨を詠んだ歌です。女の家は、春日山の裾、春日野のあたりにあったようです。この歌について窪田空穂は、「おおらかな詠み方をしながらも、おのずからに微細な感をも織り込み得ていて、平面感に終わっていない歌である。この味わいは実感に即するところからのもので、技巧からのものではない」と述べています。
作者未詳歌
『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。