大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

燈の影に輝ふ・・・巻第11-2642

訓読 >>>

燈(ともしび)の影に輝(かがよ)ふうつせみの妹(いも)が笑(ゑ)まひし面影(おもかげ)に見ゆ

 

要旨 >>>

燈火の光りにきらめいていたあの娘の笑顔が、今も面影に現れて見えることだ。

 

鑑賞 >>>

 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「影」は光。「かがよふ」はきらめく。当時、燈火は貴重なものでしたから、ある程度の身分があった人の歌とみられます。「うつせみの」は現し身ので、「妹」の感を強めるために添えているもの。「笑まひし」の「し」は強意。「面影」は、目に浮かぶ人の姿。見ようと思って見るものではなく、向こうから勝手にやってきて仕方がないもの。通って行った夜の印象を歌っているとする見方もありますが、まだ自分が手に入れていない女性のことのようでもあります。宴席などで、薄い隔てのものなどの向こう側にいて燈火の光に揺れる女性の姿を言っているのでしょうか。

 この歌の原文は「燈之 陰尓蚊蛾欲布 虚之 妹咲状思 面影尓所見」となっており、蚊と蛾と蝉が出てきて独特な用字として注目されています。音仮名で表記しながらも、漢字の字義に思いを馳せて詠んだことが窺える歌であり、あるいはこの歌の作者は、蚊や蝉や蛾が飛び回る燈火のもとで思い出にひたりながら、同じように蚊や蝉や蛾が集まる燈火のもとで恋人と逢引した情景を思い起こして作歌したのかもしれません。

 

作者未詳歌

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。