大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(11)・・・巻第15-3648~3651

訓読 >>>

3648
海原(うなはら)の沖辺(おきへ)に灯(とも)し漁(いざ)る火は明かして灯(とも)せ大和島(やまとしま)見む

3649
鴨(かも)じもの浮寝(うきね)をすれば蜷(みな)の腸(わた)か黒(ぐろ)き髪に露そ置きにける

3650
ひさかたの天(あま)照る月は見つれども我(あ)が思(も)ふ妹(いも)に逢はぬころか

3651
ぬばたまの夜(よ)渡る月は早も出(い)でぬかも海原(うなはら)の八十島(やそしま)の上(うへ)ゆ妹(いも)があたり見む

 

要旨 >>>

〈3648〉海原の沖にともる漁船の火よ、もっと明々とともせ。その光で遠くに大和の山々が見えるだろうから。

〈3649〉まるで鴨のように波に漂う船で眠れば、黒々とした私の髪が夜露に濡れてしま

ったことだ。

〈3650〉はるかな空に照り輝く月は見えたけれども 私が恋しく思う妻に逢えない日々が続くなあ。

〈3651〉夜空を渡る月が早く出てきてくれないものか。大海に浮かぶ多くの島々の向こうに、大和の国の彼女の家のあたりを見たいから。

 

鑑賞 >>>

 佐婆(さば)の海で、にわかに暴風にあい、南方に流されて豊前国大分県)の沖合に流れ着いた時の歌。「佐婆の海」は、周防灘。3648の「大和島」は、大阪湾から島のように見える大和の山々。3649の「鴨じもの」は、鴨であるかのようにの意で「浮寝」にかかる枕詞。「蜷の腸」は、蜷の貝の腸で、食料にしたらしく、その黒いところから「か黒き」の枕詞。3650の「ひさかたの」は「天」の枕詞。3651は、旋頭歌の形式。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「八十島」は、多くの島々。