訓読 >>>
2527
誰(たれ)そこのわが屋戸(やど)来(き)喚(よ)ぶたらちねの母にころはえ物思(ものおも)ふ吾(われ)を
2528
さ寝(ね)ぬ夜(よ)は千夜(ちよ)もありとも我が背子(せこ)が思ひ悔(く)ゆべき心は持たじ
要旨 >>>
〈2527〉誰ですか、私の家に来て呼ぶのは。母にひどく叱られて、物思いにふけっている私なのに。
〈2528〉共に寝られない夜が千夜続いたとしても、あなたが後悔なさるような心は決して持ちません。
鑑賞 >>>
「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2527の「わが屋戸来喚ぶ」の原文「吾屋戸来喚」で、ワガヤドニキヨブと8音の字余りに訓むものもありますが、伊藤博は、「ニがないだけ、『やど』全体に呼びかけるような感じがこもる」と言っています。「たらちねの」は「母」の枕詞。「ころはえ」は、激しく叱られて。「は」は継続、「え」は受身。娘が男と今夜逢おうと母に打ち明けたものの、「あんな男はやめときなさい!」と叱られ、ちょうどその時、タイミング悪くその男がやって来たのでしょうか。この時代の日本は厳密な意味での「母系社会」ではなかったというものの、母親の地位は高く、とくに娘の結婚に母親が口出しし、婿選びをするなど、結婚決定権は父親ではなく母親にあったと言います。集中には、この歌のほかにも母親が娘の交際相手を管理し、時には恋の障害となる歌が数多く見られます。
2528の「さ寝ぬ」の「さ」は、接頭語。「さ寝」は、男女の共寝を意味することが多い語です。「思ひ悔ゆべき心」は、後悔するような心。「持たじ」の「じ」は、意志のこもる打消の助動詞。持つまい。窪田空穂は、「男に何らかの事情があって、妻に逢い難くしている時、女が男に対して、貞節を誓った心のものである。『思ひ悔ゆべき』は、女が他に心を移し、男をして不貞な女を相手としたと後悔させる意をいったもので、一般に行なわれた語である」と説明しています。
相聞歌の表現方法
『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。
正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。
譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。
寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。譬喩歌と著しい区別は認められない。