大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

白玉を包みて遣らば・・・巻第18-4101~4105

訓読 >>>

4101
珠洲(すす)の海人(あま)の 沖つ御神(みかみ)に い渡りて 潜(かづ)き取るといふ 鮑玉(あはびたま) 五百箇(いほち)もがも はしきよし 妻の命(みこと)の 衣手(ころもで)の 別れし時よ ぬばたまの 夜床(よとこ)片去(かたさ)り 朝寝髪(あさねがみ) 掻(か)きも梳(けづ)らず 出でて来(こ)し 月日(つきひ)数(よ)みつつ 嘆(なげ)くらむ 心なぐさに ほととぎす 来(き)鳴く五月(さつき)の あやめぐさ 花橘(はなたちばな)に 貫(ぬ)き交(まじ)へ 縵(かづら)にせよと 包みて遣(や)らむ

4102
白玉(しらたま)を包みて遣(や)らばあやめぐさ花橘(はなたちばな)に合(あ)へも貫(ぬ)くがね

4103
沖つ島い行(ゆ)き渡りて潜(かづ)くちふ鰒玉(あはびたま)もが包みて遣(や)らむ

4104
我妹子(わぎもこ)が心なぐさに遣(や)らむため沖つ島なる白玉(しらたま)もがも

4105
白玉(しらたま)の五百(いほ)つ集(つど)ひを手にむすびおこせむ海人(あま)はむがしくもあるか

 

要旨 >>>

〈4101〉珠洲の海女が、沖の神の島に渡り、水底に潜って採るという真珠、その真珠がどっさり欲しいものだ。いとしい妻のお方と袖を分かって別れて以来、夜床の片側をあけて寝て、朝の乱れ髪をくしけずりもしないで、私が旅に出てからの月日を指折り数えて嘆いていることだろう。そんな彼女のせめてもの慰めに、ホトトギスが来て鳴く五月のあやめ草や橘の花に交えて緒に通して髪飾りにしなさいと、その真珠を包んで贈ってやりたい。

〈4102〉真珠を包んで贈ってやれば、あやめ草や橘の花に交えて緒に通してくれるだろうに。

〈4103〉沖の島に渡って水底深く潜って採るという鮑の玉がほしい。包んで贈ろう。

〈4104〉わが妻が心の慰めに送ってやるために、沖の島にある真珠がほしい。

〈4105〉真珠をどっさり両手にすくってよこしてくれる海女がいたら、どんなありがたいことか。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持が、奈良の家にいる妻(坂上大嬢)に贈るために、真珠を得ようと願った歌。4101の「珠洲」は、能登半島の先端の珠洲市。「沖つ御神」は、沖にいます海神の意で、ここでは奥津比咩(おくつひめ)神社のある舳倉(へぐら)島。「鮑玉」は、真珠。「五百箇」は、たくさんの意を具象的に言ったもの。「もが」は、願望の助詞。「はしきよし」は、ああ愛しい。「妻の命」は、妻を敬って言った語。「衣手の別れし時」は、共寝する時に交わした袖を解き放して別れること。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「夜床片去り」は、二人で寝ていた寝床の片側をあけて寝ること。「心なぐさに」は、心の慰めに、気晴らしに。

 4102の「白玉」は真珠。4103の「潜くちふ」の「ちふ」は「といふ」の約。「もが」は願望。4104の「もがも」は願望。4105の「おこせむ」は、寄こしてくれるだろう。「むがし」は喜ばしい、ありがたい。