大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(9)・・・巻第14-3537

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柵越(くへご)しに麦(むぎ)食(は)む小馬(こうま)のはつはつに相見(あひみ)し児(こ)らしあやに愛(かな)しも

(或本の歌に曰はく)
馬柵(うませ)越し麦(むぎ)食)は)む駒(こま)のはつはつに新肌(にひはだ)触れし児(こ)ろし愛(かな)しも

 

要旨 >>>

柵越しにほんの少し麦を盗み食いする仔馬のように、わずかに関係した女だが、やたらに愛しくてならない。

(或る本の歌に曰く)
馬柵越しにほんの少し麦を盗み食いする馬のように、わずかに新肌に触れた女だが、やたらに愛しくてならない。

 

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 上2句は「はつはつに」を導く序詞。「柵」は牛や馬などが入らないようにした柵。「小馬」は男性の比喩。「はつはつに」はほんのわずかにの意。「相見る」は男女が関係を結ぶこと。「児ら」は女の愛称。「し」は強意の助詞。「あやに」は、やたらに、何とも言いようがなく。「新肌」は初めて男に許す肌。いずれの歌も男の歌であり、ほんのちょっと関係した女が愛おしくてならない、と言っていますが、ほんのちょっとだからよかったということもあります。

 

もののふの八十氏河の・・・巻第3-264

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もののふの八十氏河(やそうじかは)の網代木(あじろき)に いさよふ波の行く方知らずも

 

要旨 >>>

宇治川網代木に遮られてただよう水のように、人の行く末とは分からないものだ。

 

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 柿本人麻呂近江国から大和へ上った時、宇治川の辺(ほとり)で詠んだ歌です。ここは、近江国と大和の往復には必ず通る所だったとされます。「物の部の八十」は「うぢ」を導く序詞。「もののふの八十氏」の「もののふ(物の部)」は朝廷に仕える官人、「八十氏」は多数の氏のことで、その「氏」を川の名の「宇治」に転じています。「網代木」は網代をつくるための棒杭。網代は川魚を獲るしかけ。「いさよふ」は漂う、たゆたう。

 宇治川という豊かな大河のなかに、網代の上にいさよう波という些かなものに目をとめて詠んだ歌ですが、「行く方しらずも」との余情に富んだ結句から、この歌の作意については諸説あります。すなわち、①近江の旧都を感傷したなごりから、無常観を寓したもの、②波に魅入られて実景・実感をすなおに詠んだだけのもの、③実景に対する感情がよむ者に自然と無常観を感じさせるもの、などというものです。

 

娘子らが赤裳の裾の濡れて・・・巻第7-1274

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住吉(すみのえ)の出見(いでみ)の浜の柴な刈りそね 娘子(おとめ)らが赤裳(あかも)の裾(すそ)の濡れて行(ゆ)かむ見む

 

要旨 >>>

住吉の出見の浜の柴は刈らないでくれ。乙女らが赤い裳裾を濡らしたまま行くのをそっと見たいと思うから。

 

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 『柿本人麻呂歌集』から旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。「住吉」は現在の大阪市住吉区を中心とした一帯で、万葉時代から港として知られていました。「出見の浜」は住吉神社の西の海岸とされますが、現在は埋め立てられていて具体的な所在は分かりません。「な~そね」は禁止。「裳」は女性が腰から下に着た衣。赤色がふつうで、もともとは官女の装いだったようです。

 男が、出見の浜で柴を苅っている人に言いかけた形ですが、実際にそうしたというわけでなく、そう思ったというにすぎないもので、いわゆるスケベ心の吐露です。乙女らが裳裾を濡らして下半身にまとわりつかせながら歩く姿は肌が透けて見え、ずいぶん色っぽく見えたのでしょう。

 『万葉集』には62首の旋頭歌があり、うち35首が『柿本人麻呂歌集』に収められています。いずれも作者未詳歌と考えられており、万葉の前期に属する歌とされます。旋頭歌の名称の由来は、上3句と下3句を同じ旋律に乗せて、あたかも頭(こうべ)を旋(めぐ)らすように繰り返すところからの命名とする説がありますが、はっきりしていません。その多くが、上3句と下3句とで詠み手の立場が異なる、あるいは、上3句である状況を大きく提示し、下3句で説明や解釈を加えるかたちになっています。

 

柿本人麻呂歌集』について

 『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

 この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

 ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

 文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

道に逢ひて笑まししからに・・・巻第4-624

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道に逢ひて笑(ゑ)まししからに降る雪の消(け)なば消ぬがに恋ふといふ我妹(わぎも)

 

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道で出逢って微笑みかけられた人が、死ぬなら死んでもいいというほど恋しているという噂のあるそなたよ。

 

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 聖武天皇の御製歌で、酒人女王(さかひとのおおきみ)に賜った歌です。酒人女王は、題詞の下に穂積皇子(ほずみのみこ)の孫娘とあるほかは経歴不明。「道に逢ひて」は、女王が道で人に逢って、の意。その人は男性で、身分のある人とみえますが、誰かは分かりません。「笑ます」は「笑む」の尊敬語。「降る雪の」は「消」の枕詞。「がに」は、ごとくに。

 天皇が、何かの折に女王のそのような華のある噂を聞き、興を感じて賜ったというものです。皇室内ならではの、温かく大らかな品位が窺える歌柄です。なお、この歌の解釈を「私と道で会って、私が微笑んだので、雪の消え入るばかりにお慕いしますというお前よ」とするものもあります。

 

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八雲さす出雲の子らが・・・巻第3-429~430

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429
山の際(ま)ゆ出雲(いづも)の子らは霧(きり)なれや吉野の山の嶺(みね)にたなびく

430
八雲(やくも)さす出雲(いづも)の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ

 

要旨 >>>

〈429〉山の間から湧き立つ雲のように溌剌としていた出雲の娘子は霧になったのだろうか、吉野の山々の峰にたなびいている。

〈430〉たくさんの雲が湧き立つように生き生きとしていた出雲の娘子の黒髪は、吉野の川の沖に漂っている。

 

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 「溺れ死にし出雲娘子(いづものをとめ)を吉野に火葬(やきはぶ)る時、柿本朝臣人麻呂の作る歌二首」。吉野行幸の折、出雲の娘子が吉野川に入水自殺しました。娘子は出雲出身の采女ではないかとされますが、入水の原因は分かりません。

 429は、たなびく火葬の煙を霧にたとえて歌い、430は、彼女が発見された時の姿そのままを、黒髪に焦点をあてて描いています。「山の際」は山と山の間。「子ら」の「ら」は複数を示すのではなく、親しみを込めて付した語。「八雲さす」は群がる雲がさし出る意で「出雲」の枕詞。

 斎藤茂吉はこれらの歌から、「人麻呂はどんな対象に逢着しても真心をこめて作歌し、自分のために作っても依頼されて作っても、そういうことは一如にして実行した如くである」と言っています。

 

丈夫や片恋ひせむと嘆けども・・・巻第2-117~118

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117
丈夫(ますらを)や片恋ひせむと嘆けども醜(しこ)のますらをなほ恋ひにけり

118
嘆きつつ大夫(ますらを)の恋ふれこそ我(わ)が髪結(かみゆ)ひの漬(ひ)ぢて濡(ぬ)れけれ

 

要旨 >>>

〈117〉丈夫(ますらお)たるもの、片思いなどするものかと嘆いても、情けない丈夫だ、やはりどうしても恋しい。

〈118〉嘆き続け、立派なお方が私を恋い焦がれていらっしゃるからこそ、結い上げた私の髪がぐっしょり濡れてほどけてしまったのですね。

 

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 117は人皇(とねりのみこ)が舎人娘子(とねりのおとめ)に贈った歌です。舎人皇子は天武天皇の第三皇子で、『日本書紀』編纂に携わり、中心的な役割を果たしたとされます。「舎人」の名は、乳母が舎人氏であったところから称せられたのではないかといわれます。『万葉集』には3首の歌を残しています。

 「丈夫(ますらお)」は「まされる男」を語源とする説が有力で、『万葉集』では、たくましく強い男を多く指します。しばしば「大夫」とも書かれ、中国の士・大夫(たいふ)が意識されており、官人貴族の指標の一つであったことがうかがえます。「醜のますらを」の「醜」は、みにくい、の意で、自らを嘲っています。

 江戸時代中期の国学者賀茂真淵が『万葉集』の歌風を「ますらをぶり」と評したように、『万葉集』には「ますらを」の語が、その変化形を含むと60例以上も出てきます。力と勇気に満ち、私情を捨てて公に尽くす男の表現でありますが、実際は、「ますらを」が歌を歌う時とは、覆い隠していた私情が漏れ出る時であるようです。

 118は舎人娘子が答えた歌。舎人娘子は伝未詳ながら、皇子の傅(ふ)だった舎人氏の娘ではないかともいわれます。舎人氏は帰化人の末とされます。「漬つ」は、びっしょり濡れる意。「濡れけれ」の「ぬる」は、結んだものがゆるんでほどける意。「けれ」は過去の助動詞。当時の人々は、結った髪や結んだ紐が自然にほどけるのは、想い人が自分を思ってくれているからだと考えていました。娘子は、皇子の片恋を婉曲に否定しつつ、私の髪は以前から漬じて濡れていましたといって、皇子の御心を受け入れようとしています。

 

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日本書紀』について

 奈良時代に成立した勅撰の歴史書。『古事記』と並び伝存する最も古い史書の1つで、養老4年(720年)に舎人皇子主裁のもと完成したと伝わるが、その編集過程は未詳。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたり、神典の一つに挙げられる。天地開闢で始まる神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文により年紀をたてて編年体で配列されている。全30巻のうち2巻までが神代。 『古事記』がおもに天皇家の歴史を示しているのに対し、『日本書紀』は国家の公式な歴史を記すものとなっているが、両者の関係は深く、『古事記』の撰録者である太安万侶(おおのやすまろ)も編纂者として参加している。

この花のひとよのうちに・・・巻第8-1456~1457

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1456
この花の一(ひと)よのうちに百種(ももくさ)の言(こと)そ隠(こも)れる凡(おほ)ろかにすな

1457
この花の一(ひと)よのうちは百種(ももくさ)の言(こと)持ちかねて折(を)らえけらずや

 

要旨 >>>

〈1456〉この花の一枝には、数え切れないほど私の言葉がこもっている。だから、おろそかにしてはいけない。

〈1457〉この花の一枝は、あまりに多い言葉の重さに耐えかねて、折れてしまっているではありませんか。

 

鑑賞 >>>

 1456は、「藤原朝臣広嗣(ふじはらのあそみひろつぐ)が桜花を娘子に贈る歌」とあり、藤原広嗣が娘子にちょっかいを出した歌とされ、1457は、それに答えた娘子の歌です。娘子が誰であるかは不明です。なお、「一よ」を「一枝」と解するのではなく、花びらの「一弁」の古語であるとする説があります。それに従えば、1456は「この花の一弁のうちには・・・」という意味になります。「百種の言そ隠れる」は、私が言いたい多くの言葉が籠っている。「凡ろかにすな」は、おろそかにしてはいけない、充分に心を汲め、の意。

 1457では、娘子が広嗣の贈歌を、一見、わが身に余ることだとして喜びながらも拒んでいる心を表しています。「折らえけらずや」とあるので、「一よ」はやはり「一枝」とするのが適当ではないでしょうか。娘子の身分は低かったとみられますが、才が利き、自信ありげに近づいてきた相手に対し、どことなく余裕をもって返している気配が感じられます。「一枝にそんなにたくさんの言葉を詰め込むから(心にもないことを多くおっしゃるから)、ごらんなさい、重みを支えかねて折れてしまったではありませんか」と。

 一方、詩人の大岡信は、娘子の歌は求愛を受け容れたものだと解しています。広嗣の「この花の一よの内に」という句が、娘子の返歌で「この花の一よの内は」と変えられているのは、「あなたのおっしゃった一枚の花びらにも比すべきこの私は(折れてしまいました)」という意味合いが込められているのではないか、というのです。とっさの機転で作られた返歌の可憐さが、巻八の編集者には好もしく思われたがゆえに収録されたのではないか、と。

 藤原広嗣の歌は、『万葉集』にこの1首のみです。広嗣は藤原式家の祖・宇合の長男で、藤原4兄弟が相次いで亡くなった後、従五位下に叙爵しましたが、朝廷内ではすでに反藤原勢力が台頭しており、大宰少弐大宰府の次官)に左遷されてしまいます。ただ、当時は帥(長官)が空席でしたから、実質的には帥の代行者としての赴任となり、これを左遷人事と見てよいかは疑問です。それより、広嗣が不満を抱いたのは、中央政界から意図的に遠ざけられたと感じたのでしょう。天平12年(740年)、広嗣は、聖武天皇の失政の原因は僧玄肪と吉備真備にあるとして、9月に筑紫にて挙兵(藤原広嗣の乱)、1万騎を率いて朝廷軍と戦いましたが捕えられ、11月に謀殺されました。

 奈良市にある新薬師寺の入口の左手に、広嗣を祭神とする鏡神社という小社が建っています。広嗣の歌に対して、「おほろかにすな」という命令口調から、尊大に過ぎるとの評価が多いなかにあって、この鏡神社の由緒書には、「一枝の桜に万斛(ばんこく)の思いを籠めて贈られた、若き日の広嗣公の歌。純真真率の情あふれるばかりで、万葉集中における優作である」と説かれています。

 

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