訓読 >>>
吾(あれ)はもや安見児(やすみこ)得たり皆人(みなひと)の得がてにすとふ安見児得たり
要旨 >>>
私は今まさに、美しい安見児を娶(めと)った。世の人々が容易には得られない、美しい安見児を娶ったぞ!
鑑賞 >>>
内大臣・藤原鎌足が、采女(うねめ)の安見児を娶ったときに詠んだ歌です。采女というのは、天皇の食事に奉仕した女官のことで、郡の次官以上の者の子女・姉妹の中から容姿に優れた者が選ばれました。身分の高い女性ではなかったものの、天皇の寵愛を受ける可能性があったため、天皇以外は近づくことができず、臣下との結婚は固く禁じられていました。この歌は、鎌足が安身児という采女を我が物にした喜びの歌であり、もちろん天智天皇の許しを得てのことでしょう。「安見児得たり」を2度繰り返しているなど、我を忘れて欣喜雀躍している姿が目に浮かぶようであり、これほど恋の喜びが率直にうたいあげられた歌は珍しいものです。
一方では、この歌が詠まれた背景には次のような事情があったと見る向きもあります。当時、天智天皇は大友皇子を後継者にしたいと考えていたものの、大友の母は采女の出身で、身分的な問題があった。そこで天智は鎌足に安見児を与え、さらにこの歓びの歌を満座で披露させることによって、采女に対する評価を高めようとした、というものです。
いずれにしても気になるのが、この歌の前の93・94にある、鏡王女に対する鎌足の愛はどうなったのでしょうか。ひょっとして、鏡王女は鎌足の妻となった後も、天智天皇を思い続けていたのでしょうか。91・92にある天智天皇と鏡王女の恋愛の歌からの流れから、ずいぶんと想像をたくましくさせられるところです。もっとも、鏡王女と安見児を同一人とみる説もあり、そこから不比等皇胤説も強調されるようです。
「もや」は、感動の助詞「も」と「や」の複合形。「安見児」の「児」は愛称で、現在で言えば「安見ちゃん」のようなもの。「かて」は、できる、なし得る。「に」は否定の助動詞「ず」の連用形で、「かてにす」は、なし得られない。