大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(2)・・・巻第14-3350~3351

訓読 >>>

3350
筑波嶺(つくはね)の新桑繭(にひぐはまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)しあやに着欲(きほ)しも

3351
筑波嶺に雪かも降らる否(いな)をかも愛(かな)しき児(こ)ろが布(にの)乾(ほ)さるかも

 

要旨 >>>

〈3350〉筑波山の新桑で飼った繭でつくった着物もいいけれど、やっぱりあなたのお召し物を無性に着てみたい。

〈3351〉筑波山に雪が降っているのだろうか いや、違うかな。いとしいあの娘(こ)が洗った布を乾かしているのかな。

 

鑑賞 >>>

 常陸の国(茨城県の大部分と福島県の一部))の歌で、3350が女の歌、3351が男の歌です。常州ともよばれる常陸国は11郡153郷を擁する大国で、国府石岡市に置かれていました。

 3350の「筑波嶺」は筑波山で、男岳・女岳の2峰を持つ名山として著名です。「桑繭」は、桑で飼育した蚕の繭(まゆ)。「あやに」は、甚だしく。「あやに着欲しも」には、無性に着たい。娘からの求愛の歌であり、相手の着物を敷いて共寝したいとの気持ちを表しているともいわれます。絹の着物を持っているのは、裕福な家の娘とみられ、相手は都から下ってきた若い官吏あたりだったのでしょうか。

 3351の「雪かも降らる」の「かも」は、詠嘆をこめた疑問、「降らる」は「降れる」の東国形。「否をかも」は「否かも、然も」が融合した形。「児ろ」の「ろ」は接尾語。「布(にの)」は「ぬの」の訛り。「乾さる」は「乾せる」の東国形。この歌について斎藤茂吉は、「かも」という序詞を3つも繰り返して調子を取り、流動性進行性の声調を形成しているので、一種の快感をもって労働とともにうたうことのできる性質のものであるといい、この歌はなかなか愛すべきもので、東歌の中でも優れている、と評しています。

 

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巻第14と東歌について

 巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれを部立ごとに分類しています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川信濃川を結んだ以東、すなわち、遠江駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総・常陸信濃・上野・下野・陸奥の国々をさしています。『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。

 もっともこれらの歌は東国の民衆の生の声と見ることには疑問が持たれており、すべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、中央側が何らかの手を加えて収録したものと見られています。また、東歌を集めた巻第14があえて独立しているのも、朝廷の威力が東国にまで及んでいることを示すためだったとされます。