訓読 >>>
3578
武庫(むこ)の浦の入江(いりえ)の渚鳥(すどり)羽(は)ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし
3579
大船に妹(いも)乗るものにあらませば羽(は)ぐくみ持ちて行かましものを
要旨 >>>
〈3578〉武庫川の河口付近の入江に巣くう水鳥が羽で包むように私を愛してくれたあなた、そのあなたと離れては、私は恋い焦がれて死んでしまいそうです。
〈3579〉大きな船にお前を乗せて行けるものであったなら、羽で包んでそっと抱えて行きたいものを。
鑑賞 >>>
巻第15の前半は、天平8年(736年)に新羅国(朝鮮半島南部にあった国)に外交使節として派遣された使人たちの歌が154首収められており、その総題として「遣新羅使人ら、別れを悲しびて贈答し、また海路にして情をいたみ思を陳べ、併せて所に当りて誦ふ古歌」とあります。
歌が詠まれた場所をたどっていくと、難波を出航後、瀬戸内の各港や九州の能古島、対馬などを経て新羅に向かったことがうかがわれます。
天智7年(668年)から始まった「遣新羅使」は約3世紀にわたって派遣されましたが、これらの歌が詠まれた時(天平8年:736年)の新羅国と日本の関係は必ずしも良好ではなかったため、使節の目的は果たせなかったばかりか、帰途に大使の阿倍継麻呂が病死するなど、払った犠牲にたいし成果が得られなかった悲劇的な使節でした。
3578は遣新羅使として旅立つ夫を送る妻の歌。「武庫の浦」は兵庫県の武庫川の河口付近の海。 難波を出た使人たちの最初の宿泊地だったようです。当時の船旅は、夜になると陸に上がって宿泊するのが普通でした。3579は夫が答えた歌。「羽ぐくむ」は「育む」の語源となった言葉で、親鳥が羽で包んでひなを育てる意です。