大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

荒し男すらに嘆き伏せらむ・・・巻第17-3962~3964

訓読 >>>

3962
大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに ますらをの 心振り起こし あしひきの 山坂(やまさか)越えて 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に下(くだ)り来(き) 息(いき)だにも いまだ休めず 年月(としつき)も 幾(いく)らもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡(なび)き 床(とこ)に臥(こ)い伏(ふ)し 痛けくし 日に異(け)に増(ま)さる たらちねの 母の命(みこと)の 大船(おほぶね)の ゆくらゆくらに 下恋(したごひ)に いつかも来(こ)むと 待たすらむ 心さぶしく はしきよし 妻の命(みこと)も 明け来れば 門(かど)に寄り立ち 衣手(ころもで)を 折り返しつつ 夕されば 床(とこ)打ち払(はら)ひ ぬばたまの 黒髪敷きて いつしかと 嘆かすらむそ 妹(いも)も兄(せ)も 若き子どもは をちこちに 騒(さわ)き泣くらむ 玉桙(たまほこ)の 道をた遠(どほ)み 間使(まつかひ)も 遣(や)るよしもなし 思ほしき 言伝(ことつ)て遣(や)らず 恋ふるにし 心は燃えぬ たまきはる 命(いのち)惜(を)しけど 為(せ)むすべの たどきを知らに かくしてや 荒(あら)し男(を)すらに 嘆(なげ)き伏(ふ)せらむ

3963
世間(よのなか)は数なきものか春花(はるはな)の散りのまがひに死ぬべき思へば

3964
山川(やまかは)のそきへを遠みはしきよし妹(いも)を相(あひ)見ずかくや嘆かむ

 

要旨 >>>

〈3962〉大君のご命令に従い、ますらおの雄々しい心を奮い起こし、山を越え坂を越えてこの遠い鄙の地に下ってきた。息つく暇もなく、いまだ休めず、年月もいくらも経っていないのに、はかない世に住む人間のこととて、ぐったりと病の床に伏してしまい、苦しみは日に日に増さる。母君が、大船がゆれるように落ち着かず、いつ帰ってくるかと待っておられることと思うと心寂しい。いとしい妻も、夜明けには門に寄り添って立ち、袖を折り返し、夕方になると床をきれいに払い清め、一人さびしく黒髪を靡かせて床に伏し、いつ帰ってくるだろうと嘆いていることだろう。女の子も男の子も幼い子供たちは、あっちこちに動き回って騒いだり泣いたりしているだろう。けれども道が遠いので、使いをしばしば送る手だてはない。言いたいことを言うこともできずに、恋しさが募って心は燃え上がるばかりだ。限りある命は惜しく、何とかしたいと思うけれど、何の手だてもない。こうして、荒々しき男子たる者が、ただ嘆き伏していなければならないというのか。

〈3963〉この世はなんとはかないものか。春の桜がはらはらと散り乱れるのにまぎれて、死んでいくかと思えば。

〈3964〉山川を隔てて遙か遠くに離れているので、いとしい妻に逢うこともできず、こうして嘆いていなければならないのか。

 

鑑賞 >>>

 越中に赴任した大伴家持が、にわかに悪病に罹り、今にも死にそうになったときに、悲しい思いを述べた歌。作歌時期は天平19年(747年)春2月20日とあり、12月、1月の歌がないため、そのころから病気だったのではないかとみられます。おそらく数十日間も寝て過ごしたのでしょう。越中で迎えた初めての新春であり、寒さが原因だったのかもしれません。

 3962の「任け」は任命して派遣すること。「まにまに」は、従って。「あしひきの」は「山」の枕詞。「天離る」は「鄙」の枕詞。「鄙」は、都から遠い地。「うつせみの」は「世」の枕詞。「たらちねの」は「母」の枕詞。「母の命」は、ここでは叔母の坂上郎女のこと。「命」は、尊称。 「大船の」は「ゆくらゆくらに」の枕詞。「ぬばたまの」は「黒髪」の枕詞。「妹も兄も」は、女の子も男の子も。「をちこちに」は、あちらこちらに。「玉桙の」は「道」の枕詞。「間使」は、二人の間を往復する使い。「たまきはる」は「命」の枕詞。3964の「そきへ」は、遠く隔たったあたり。