大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

浦廻行き廻る鴨すらに・・・巻第3-390

訓読 >>>

軽(かる)の池の浦廻(うらみ)行き廻(み)る鴨(かも)すらに玉藻(たまも)の上に独(ひと)り寝なくに

 

要旨 >>>

軽の池の岸の周辺を泳ぎ回る鴨たちでさえ、玉藻の上に一人で寝ることはないというのに。

 

鑑賞 >>>

 作者の紀皇女(きのひめみこ)は、天武天皇の皇女ながら伝記はなく、母方は蘇我氏だったこと、同母兄妹に穂積皇子・田形皇女がいることくらいしか分かっていません。この歌は、『万葉集』の部立の一つである「譬喩歌(ひゆか)」として奈良朝の歌25首が載せられている中の先頭に配置されていることから、編集者によって秀歌と認められた歌のようです。譬喩歌は、表現方法からの分類で、「雑歌」「相聞」「挽歌」の部立より新しい意識に基づいており、人間の心情を表に出さず、隠喩(いんゆ)的に詠んだ歌です。その殆どが恋の歌になっています。

 「軽の池」は、奈良県橿原市大軽町付近にあった灌漑用の池とされ、「軽」は蘇我氏の地でした。「浦廻」は水際の入り込んだ辺り、「玉藻」の「玉」は美称です。藻を自分の黒髪に喩え、「鴨でさえ、私が黒髪を敷いて寝るように、一人で寝たりはしないのに」と、孤独で寂しい心情を詠っています。斎藤茂吉は、巻第12-3098に関する言い伝えから、恋人の高安王(たかやすのおおきみ)が伊予に左遷された時の歌ではないかと考えている、と言っています。

 

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