大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

春霞 流れるなへに・・・巻第10-1821

訓読 >>>

春霞(はるかすみ)流るるなへに青柳(あをやぎ)の枝くひもちて鶯(うぐひす)鳴くも

 

要旨 >>>

春霞が流れるにつれて、青柳の枝をくわえたウグイスが鳴いている。

 

鑑賞 >>>

 「霞」といえば、たなびくという表現が多いなかにあって「流れる」としたのは、中国の詩に影響されたのではないかといいます。流れる霞、青柳、花の枝をくわえて飛ぶ鳥の3つの道具仕立ても中国趣味のようです。国内によく植えられているしだれ柳も、古く中国から渡来した樹木で、春から夏、細長い葉が茂ると「青柳」と呼びます。「なへに」は、折しも、それとともに、の意。

 

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作者未詳歌について

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、実に2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、国家機構の整備にともなって増加した官人たちや、その生活を支える庶民たちに広まり、やがて各地に波及していきました。7世紀末に造営された藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が営まれるようになると、機内の国々を中心に、その他の地域からも多くの人々が都に集まり、また各地との往来も盛んになりました。このため、宮廷社会に始まった和歌は、中・下級官人たちや庶民へと急速に広まっていきましたが、その時期は7世紀末~8世紀、とくに奈良朝の時代です。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半が中・下級官人たちや都市周辺部の庶民たちの歌とみることができ、地名などからみて機内圏のものであることがわかります。