訓読 >>>
4337
水鳥(みづどり)の立ちの急ぎに父母(ちちはは)に物(もの)言(は)ず来(け)にて今ぞ悔(くや)しき
4338
畳薦(たたみけめ)牟良自(むらじ)が礒(いそ)の離磯(はなりそ)の母を離(はな)れて行くが悲しさ
4339
国(くに)廻(めぐ)るあとりかまけり行き廻(めぐ)り帰(かひ)り来(く)までに斎(いは)ひて待たね
要旨 >>>
〈4337〉水鳥が飛び立つように、出発前のあわただしさに父母に物もいわずに来てしまった。今となってはそれが口惜しい。
〈4338〉牟良自の磯の離れ岩のように、母の許を、一人離れて行くのが悲しい。
〈4339〉国から国へ渡り巡るアトリや鴨やケリのように、私が国々を巡って帰ってくるまで、神に無事を祈って待っていて下さい。
鑑賞 >>>
駿河国の防人の歌。作者は、4337が上丁(じょうちょう)有度部牛麻呂(うとべのうしまろ)、4338が助丁(じょちょう)生部道麻呂(みぶべのみちまろ)、4339が刑部虫麻呂(おさかべのむしまろ)。上丁は一般兵士のうち上階の者のこと。助丁はその補佐役か。駿河国からの行程は、上り18日と定められていました。
4337の「水鳥の」は「立つ」の比喩的枕詞。鴨などの水鳥が飛び立つ際の羽音が騒がしい感じをも込めていると見えます。「立ちの急ぎに」の「急ぎ」は、準備の意。「物言(は)ず」は「物いはず」の約。「来(け)にて」は「きにて」の方言。4338の「畳薦」は「たたみこも」の方言で、畳に編む薦。その群がり生えるところから「牟良自」の枕詞。「牟良自が磯」は、所在未詳。上3句は、実景を捉えての譬喩であると共に「離れ」を導く同音反復式序詞。「離り磯」は、ただ一つ離れている岩。軍防令には、征行に婦女を同行することを禁じていますが、『日本霊異記』には、母が筑紫まで随行した防人の話が記されています。
4339の「あとりかまけり」は、アトリ・カマ・ケリの3種の渡り鳥の名とされますが、確かではありません。「帰(かひ)り」は「かえり」の訛り。「斎ふ」は、身を清めて祈る。家族の者が旅中にある間、妻などは禁忌を守って斎戒しました。窪田空穂は、「渡り鳥は、群をなして翔る威勢のいい鳥であるから、防人としての自身を譬えるには、適切である上に、相手に元気づける効果もあるものである。健康な、聡明な人柄が思われる歌である。不明の語のあるのが惜しい」と言っています。
江戸時代の僧・国学者の契沖(けいちゅう)が著した『万葉代匠記』には、4337の歌の注に、防人歌全般をとりまとめて次のように記されています。
「すべてこの防人どもの歌、ことばはだみたれど(訛っているが)、心まことありて父母に孝あり。妻をいつくしみ子をおもへる、とりどり(それぞれ)にあはれなり。都の歌は古くも少し飾れることもやといふべきを、これらを見ていにしへの人のまことは知られ侍り」