大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(6)・・・巻第20-4337

訓読 >>>

水鳥(みづどり)の立ちの急ぎに父母(ちちはは)に物(もの)言(は)ず来(け)にて今ぞ悔(くや)しき

 

要旨 >>>

水鳥が飛び立つように、出発前のあわただしさに父母に物もいわずに来てしまった。今となってはそれが口惜しい。

 

鑑賞 >>>

 駿河国の上丁(じょうちょう)有度部牛麻呂(うとべのうしまろ)の歌。上丁は一般兵士のうち上階の者のこと。「水鳥の」は「立つ」の枕詞。「物言ず」は「物いはず」の約。「来(け)にて」は「きにて」の方言。

 江戸時代の僧・国学者契沖が著した『万葉代匠記』には、この歌の注に、防人歌全般をとりまとめて次のように記されています。
「すべてこの防人どもの歌、ことばはだみたれど(訛っているが)、心まことありて父母に孝あり。妻をいつくしみ子をおもへる、とりどり(それぞれ)にあはれなり。都の歌は古くも少し飾れることもやといふべきを、これらを見ていにしへの人のまことは知られ侍り」

 

契沖

 江戸前期の国学者歌人、僧侶。姓は下川。摂津の人。高野山で修業、大坂の曼陀羅院・妙法寺の住職となり、のち大坂の高津、円珠庵に隠栖。漢籍、仏典、悉曇(しったん)に精通し、独創的な古典の注釈研究を行ない、古代の歴史仮名遣いを明らかにするなど、文献学的方法を確立、国学発展の基礎を築いた。また長歌にすぐれ、歌風は華麗。著に「万葉代匠記」「和字正濫鈔」「古今余材抄」「勢語臆断」、歌集「漫吟集」、随筆「円珠庵雑記」などがある。