大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

橘の寺の長屋に我が率寝し・・・巻第16-3822

訓読 >>>

橘(たちばな)の寺の長屋(ながや)に我(わ)が率寝(ゐね)し童女放髪(うなゐはなり)は髪(かみ)上げつらむか

 

要旨 >>>

橘寺の僧坊長屋に私が連れ込んで寝たおかっぱ頭の少女は、もう一人前の女になって、髪を結い上げたであろうか。

 

鑑賞 >>>

 「古歌に曰はく」とある歌。「橘の寺」は明日香にあった橘寺のことで、聖徳太子建立の七ケ寺の一つとされます。「長屋」は僧坊長屋で、寺の奴婢などの住居。「童女放髪」は肩のあたりで切ったお下げ髪。「髪上げ」は成人した女が、垂らした髪を結い上げること。要は、「昔、俺が連れ込んでヤッちゃった少女は、もう大人になっただろうか」という、まことにもってケシカランことを言っている歌です。

 なお、この歌の左注に椎野連長年(しいののむらじながとし:伝未詳)による解説があり、そもそも寺の建物は俗人の寝られるところではない、また、成人した女を「放髪」というのであって、第4句で放髪と言い、結句で重ねて成人をあらわす語を言うのでは意味が通らないとしています。そして、正しくは、

橘の照れる長屋に我が率寝し童女 放髪に髪上げつらむか(3823)

だと定めています。「橘の寺の長屋」を、橘寺ではなく橘が照り映える長屋とし、「童女放髪」を2語と見て改めていますが、これは曲解による改悪であるとする見方があります。そもそも僧坊と少女という、あってはならない取り合わせだからこそ刺激的であり、歌に生彩が与えられているのであって、長年が修正した歌では、面白味が全く消滅しています。しかも、元歌には「橘の寺」と明示しているのです。

 作家の田辺聖子は、「お下げ髪の童女と若い僧であろうか、それとも寺に使われる堂童子でもあろうか、相手がうない髪の童女だけに卑猥感はなく、『我が率寝し』は強引に力ずくで迫ったのではない、童女が誘われて諾(うん)といって、ついてきたのである。・・・それらの思い出が『童女放髪は髪上げつらむか』という懐かしさになって唇にのぼってきたのだ。この歌を好んで伝えた庶民も、僧院の情事に低俗な好奇心を持ったというより、大らかな性愛に共感し、寛大になる、その心持を愛したのであろう」と述べています。

 ところで、この寺には、寄宿している僧や召使のための私的な部屋を集合した施設があったことが窺えます。あたかも江戸時代の長屋に似た居住形態のようで、寺に特有の施設だったかもしれませんが、狭い土地に大人数が住むためにくふうされたものであれば、寺以外でも設けられていた可能性があります。