大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

臣の女の櫛笥に乗れる鏡なす・・・巻第4-509~510

訓読 >>>

509
臣(おみ)の女(め)の 櫛笥(くしげ)に乗れる 鏡(かがみ)なす 御津(みつ)の浜辺(はまべ)に さ丹(に)つらふ 紐(ひも)解き放(さ)けず 我妹子(わぎもこ)に 恋ひつつ居(を)れば 明(あ)け暮(ぐ)れの 朝霧(あさぎり)隠(ごも)り 鳴く鶴(たづ)の 音(ね)のみし泣かゆ 我(あ)が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 心もありやと 家(いへ)のあたり 我(わ)が立ち見れば 青旗(あをはた)の 葛城山(かづらきやま)に たなびける 白雲(しらくも)隠(がく)る 天(あま)さがる 鄙(ひな)の国辺(くにへ)に 直(ただ)向かふ 淡路(あはぢ)を過ぎ 粟島(あはしま)を 背(そ)がひに見つつ 朝なぎに 水手(かこ)の声呼び 夕なぎに 梶(かぢ)の音(おと)しつつ 波の上を い行きさぐくみ 岩の間(ま)を い行き廻(もとほ)り 稲日都麻(いなびつま) 浦廻(うらみ)を過ぎて 鳥じもの なづさひ行けば 家の島 荒磯(ありそ)の上に うちなびき しじに生(お)ひたる なのりそが などかも妹(いも)に 告(の)らず来(き)にけむ

510
白栲(しろたへ)の袖(そで)解きかへて帰り来(こ)む月日(つきひ)を数(よ)みて行きて来(こ)ましを

 

要旨 >>>

〈509〉女官の櫛箱の上に載っている鏡のように、見るという名を負うこの御津の浜辺で、紅の美しい下紐を解くこともできずにあの子に恋い焦がれていると、折しも明け方の朝霧に隠れて鳴く鶴のように、声をあげて泣けてくるばかりだ。この悲しみの千分の一でも慰められないかと、家のある大和の方向を遠望してみるが、 葛城山にたなびく白雲に隠れて見えもしない。こうして、都から遠く離れた田舎の国に向き合う淡路島を過ぎ、粟島を後ろに見ながら、朝なぎには漕ぎ手が声を揃え、夕なぎには櫓をきしらせて波を押し分けて岩の間を進んでいく。はるばる稲日都麻の浦のあたりを過ぎて、水鳥のようにもまれながら漂い行くと、聞くさえ懐かしい家島の荒磯の上になのりその藻がなびいてびっしり生えている。そのなのりそのように、どうして私はあの子に訳も告げずに別れて来てしまったのだろうか。

〈510〉互いの袖を解いて取り換えて形見とし、いつごろ帰って来られるのかその月日を数えて告げてから、筑紫まで行って来るのだったのに。

 

鑑賞 >>>

 丹比真人笠麻呂(伝未詳)が筑紫の国に下ったときに作った歌。官命を帯びてのことと思われますが、事情は分かりません。夫婦の契りを交わし、きちんと将来の約束をしないまま離れてしまったことを悔いています。

 509の「臣の女」は宮廷の女官。上3句は「御津」(難波津)を導く序詞。「さ丹つらふ」は「紐」の枕詞。「青旗の」は「葛城山」の枕詞。「葛城山」は奈良県大阪府の境の葛城連山。「天ざかる」は「鄙」の枕詞。「粟島」は四国の阿波あたりか。「さぐくみ」は、間を縫うようにして進み。「稲日都麻」は加古川の河口付近。「なづさひ」は、浮き漂って。「家の島」は姫路沖の家島群島。「しじに」は、ぎっしり。「なのりそ」は今のホンダワラという藻。「な告りそ(告げるな)」の掛詞としてしばしば用いられています。510の「白栲の」は「袖」の枕詞。