大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

食す国の遠の朝廷に・・・巻第6-973~974

訓読 >>>

973
食(を)す国の 遠(とほ)の朝廷(みかど)に 汝(いまし)らが かく罷(まか)りなば 平(たひら)けく 我(わ)れは遊ばむ 手抱(たむだ)きて 我れはいまさむ 天皇(すめら)我(わ)れ うづの御手(みて)もち かき撫(な)でぞ ねぎたまふ うち撫でぞ ねぎたまふ 帰り来(こ)む日 相(あひ)飲まむ酒ぞ この豊御酒(とよみき)は

974
ますらをの行くといふ道そ凡(おほ)ろかに思ひて行くなますらをの伴(とも)

 

要旨 >>>

〈973〉私が治める国の遠く離れた政庁に、そなたたちが出向いたなら、平穏でいられ、私は日々楽しんでいられよう、腕を組んだまま時を過ごしていられよう。天皇たる私は、手でそなたたちの髪を撫でねぎらおう、そなたたちの頭を撫でてねぎらおう。そなたたちが無事帰って来る日に、また共に飲もうとする酒である、この素晴らしい酒は。

〈974〉ますらおが行くという厳しい道であるから、おろそかな気持ちで行ってはならない、ますらおの仲間たちよ。

 

鑑賞 >>>

 天平4年(732年)に、東海・東山・山陰・西海の四道に節度使が置かれました。この歌は、聖武天皇が、任地に赴く節度使の卿たちを激励し、酒を賜ったときの御製歌です。この時の節度使は、藤原房前藤原宇合丹比県守の3人とされます。節度使とは、地方の軍事力を整備・強化するために、東海・東山・山陰・西海・南海道などに派遣された「令外(りょうげ)の官」のことです。

 「食す」は自敬表現で、お治めになる。「遠の朝廷」は、都から遠く離れた役所。「手抱きて」は、手をこまぬいて。「いまさむ」「うづの御手もち」「ねぎたまふ」はいずれも自敬表現で、それぞれ、おいでになるだろう、高貴なお手で、おいたわりになる意。なお、左注に「或いは太上天皇元正天皇)の御製なりといふ」とありますが、天皇が賜る壮行歌の類型であるため、こうした異伝があるようです。