大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

飛ぶ鳥の明日香の里を・・・巻第1-78

訓読 >>>

飛ぶ鳥の明日香(あすか)の里を置きて去(い)なば君があたりは見えずかもあらむ

 

要旨 >>>

明日香の里をあとにして、奈良の都に行ってしまえば、あなたが住んでいたところは見えなくなってしまうのか。

 

鑑賞 >>> 

 和銅3年(710年)の2月に、藤原宮から寧楽宮(奈良の宮)に遷った時に、御輿を長屋原にとどめて、藤原宮を見たという歌です。作者名は記されていませんが、元明天皇とされます。「長屋原」は、現在の天理市にあり、ちょうど中つ道の中間点にあたります。中つ道とは、香具山からまっすぐ北に伸びた道で、大和国内には、上つ道、中つ道、下つ道という南北を平行して縦貫する3本の古道(大和三道)がありました。

 「飛ぶ鳥の」は「明日香」の枕詞。現在、「飛鳥」と書いて「あすか」と読まれているのは、「飛ぶ鳥のアスカ」という枕詞があまりに有名になったために、「飛鳥」と書いても「あすか」と読まれるようになったものです。その明日香には、自分たちの祖先のお墓も、自分たちの祖先が営んできた都もあります。しかし、都を発展させるためには、どうしても奈良盆地の北方に遷都する必要があった・・・。

 遷都にあたって元明天皇は、もう一度、飛鳥の風景を目に焼きつけておきたかったのでしょう。飛鳥と藤原の地は、実に約100年以上にわたって都の置かれた土地です。かの地で生を受け、暮らした人間の感慨が、ここにあらわれています。「君があたり」は、元明天皇の亡き夫、草壁皇子のお墓だとする説や草壁皇子の宮殿であった島宮とする説などがあります。