大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

引馬野ににほふ榛原・・・巻第1-57

訓読 >>>

引馬野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣(ころも)にほはせ旅のしるしに

 

要旨 >>>

引馬野に色づいている榛の原、さあ、この中にみんな入り乱れて衣を艶やかに染めようではないか、旅の記念(しるし)に。

 

鑑賞 >>>

 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が、持統太上天皇三河国行幸に従駕した時の歌。持統天皇は31回も吉野行幸を重ね、最晩年の大宝2年(702年)に大がかりな東国巡幸を行い、三河まで車駕を進めました。吉野も東国も、壬申の乱に勝利するまでに亡夫・天武と歩んだ苦難への思い出の地でありました。

 「引馬野」は、愛知県豊川市または静岡県浜松市付近の地名。「にほふ」は色の艶やかなこと。「榛原」の「榛」はハンノキで、当時は樹皮や実を染料に用いたといいます。「にほはせ」は「にほほす」の命令形で、「にほふ」と同じく、艶やかにせよ、の意。これは単に記念として衣を染めようというのではなく、それによって土地の神のご加護を身につけようとの呪術的な意図が込められているものです。

 長忌寸意吉麻呂は、柿本人麻呂高市黒人などと同じ時期に宮廷に仕えた下級官吏だったとされます(生没年未詳)。行幸の際の応詔歌、羇旅歌、また宴席などで会衆の要望にこたえた歌、数種のものを詠み込んだ歌、滑稽な歌など、いずれも短歌の計14首を残しています。