大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

かがよふ玉を取らずはやまじ・・・巻第6-950~953

訓読 >>>

950
大君(おほきみ)の境(さか)ひたまふと山守(やまもり)据(す)ゑ守(も)るといふ山に入(い)らずはやまじ

951
見わたせば近きものから岩隠(いはがく)りかがよふ玉を取らずはやまじ

952
韓衣(からころも)着(き)奈良(なら)の里(さと)の夫松(つままつ)に玉をし付(つ)けむ好(よ)き人もがも

953
さを鹿(しか)の鳴くなる山を越(こ)え行かむ日だにや君がはた逢はざらむ

 

要旨 >>>

〈950〉大君の御領として境を設けられ、山の番人を置いてまで管理されている山であっても、私は入らずにはいられない。

〈951〉海の上を見渡すと、近くにありながら、岩陰に光り輝いている玉がある。その玉を我が物にしないでおくものか。

〈952〉韓衣を着慣らすという奈良の里の、夫(つま)を待つこの松に付けて飾るにふさわしい玉のような、立派な人がいてくれたらなあ。

〈953〉牡鹿が妻恋いをして鳴いているこの山を越えようとしている日なのに、ひょっとしてあなたは逢ってくださらないのでしょうか。

 

鑑賞 >>>

 笠金村の歌。神亀5年(728年)、聖武天皇難波宮行幸された時に作った歌4首とありますが、行幸には関りのない歌になっています。なお左注に「右は、笠朝臣金村が歌の中に出づ。或いは車持朝臣千年が作といふ」とあり、あるいは行幸先の宴席で二人が歌い交わしたものかもしれません(目録では4首とも車持千年の作とある)。950・951は、男の立場で天皇の女官に言い寄ろうとする歌、952・953は、女の立場で答えた歌になっています。

 950の「山守」は、女の親または侍女の譬え。「山に入る」は、女に逢う譬え。951の「近きものから」は、近くにありながら。「かがよふ」は、輝く。「玉」は、得難い美女の譬え。952の「韓衣」は、唐風に仕立てた衣。「韓衣着」は「着ならす」と続けた「奈良」の序詞。「好き人」は、教養があり身分もある人を尊んでの称。「もがも」は、願望。953の「さを鹿」の「さ」は接頭語。「はた」は、ひょっとして。