訓読 >>>
鎌倉の見越(みごし)の崎の岩(いは)崩(く)えの君が悔(く)ゆべき心は持たじ
要旨 >>>
鎌倉の水越の崎は岩が崩れているけれど、あなたが悔いて仲を崩してしまうような心は、決して持ちません。
要旨 >>>
相模の国(神奈川県)の歌。「見越の崎」は、諸説あるものの所在未詳。「岩崩え」は、岩石が露出して崩れているように見える所。上3句が「悔ゆ」を導く序詞で、「岩崩え」の「くえ」が類音の「くゆ」を導き出しています。恋の先行きに不安を持つ女の歌ですが、巻第3-437に「妹もわれも清(きよみ)の河の河岸の妹が悔ゆべき心は持たじ」という、下句がほとんど同じ歌が別にあります。
鎌倉が出てくる歌は、この歌を含め、「東歌」中に3首あります。鎌倉というと、すぐに源氏を思い出し、鶴岡八幡宮や建長寺、円覚寺など中世に栄えた寺社を中心に心に浮かびますが、縄文~弥生時代にかけての遺跡も出土しており、早くから開けた土地であったようです。
巻第14と東歌について
巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれを部立ごとに分類しています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川と信濃川を結んだ以東、すなわち、遠江・駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総・常陸・信濃・上野・下野・陸奥の国々をさしています。『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。
もっともこれらの歌は東国の民衆の生の声と見ることには疑問が持たれており、すべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、中央側が何らかの手を加えて収録したものと見られています。また、東歌を集めた巻第14があえて独立しているのも、朝廷の威力が東国にまで及んでいることを示すためだったとされます。