大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

あをによし奈良の都は・・・巻第3-328~331

訓読 >>>

328
あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり

329
やすみしし我が大君(おほきみ)の敷きませる国の中(うち)には都し思(おも)ほゆ

330
藤波(ふぢなみ)の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君

331
わが盛(さかり)また変若(をち)めやもほとほとに奈良の都を見ずかなりけむ

 

要旨 >>>

〈328〉桜の花がさきにおっているように、奈良の都は繁栄をきわめていることだ

〈329〉大君がお治めになる国は多くあるが、私は何といってもやはり都がいちばん懐かしい。

〈330〉ここ大宰府でも藤の花が真っ盛りになりました。長官(旅人のこと)、あなたも奈良の都を恋しく思っていられますか。

〈331〉私の盛りは再び若返ることがあるだろうか、いや殆ど奈良の都を見ずじまいになってしまうのだろうな。

 

鑑賞 >>>

 小野老(?~737年)が大宰府の少弐(次官)として着任してきた時、長官の大伴旅人の館で、彼を歓迎する宴が催されました。これらの歌は、その場で詠まれたとされ、328は、小野老が目の当たりにしてきた都の栄華を、単純な言葉で率直に伝えています。大宰府の上級官人は都から派遣された政府高官です。彼らの本拠地はあくまで平城京のある近畿地方であったため、おそらくは大勢の役人らが都のようすを聞きたがっていたのでしょう。この歌が詠まれた時、都の美しい風景を思い出して望郷の念にかられ、皆が涙したのではありますまいか。

 「あをによし」は「奈良」の枕詞。「あをに」は「青丹」で、青と丹色つまり赤。「にほふ」は元来、視覚に関して用いる語で、色が照り映える意でしたが、後に香りにも用いられるようになりました。この歌の「にほふがごとく」の原文表記は「薫如」となっていますから、視覚だけでなく花の芳香が意識されていることが分かります。「咲く花」が何であるかは、藤または梅ではないかとする説がありますが、象徴的に奈良の都が栄えていることを表現しているのだから、花も象徴的でポピュラーなものである必要から、やはり桜であってほしいところです。

 329・330の2首は、大伴四綱(おおとものよつな)が老の歌を承けて詠んだ歌です。四綱は、防人司佑(さきもりのつかさのじょう)として大宰府に仕え、同じく大伴旅人の配下にあった人物です。「防人司」は、大宰府に属する一官庁で、防人に関する事務を司るところ。「佑」は、次官。四綱の歌の詠みぶりもさることながら、座持ちも巧みな男であったようで、330では、老の歌を承けるだけでなく、あるじの旅人をも引き込んでいます。329の「やすみしし」は「我が大君」の枕詞。

 331は、四綱の歌に大伴旅人が答えて詠んだ歌です。「変若」は若返ること。旅人は、和歌や漢文学に優れていただけでなく、政界においても順調に昇進を重ねました。728年には、大宰帥に任命され筑紫に赴任。大宰帥は名誉ある役職でしたが、奈良の都を愛してやまない旅人にとっては本意ではありませんでした。これは左遷というものではなく、当時は隼人・蝦夷の背叛を患えた時代だったため、武門の名門として輿望のある旅人に白羽の矢が立ったものとみられます。しかし、60歳を過ぎた身には過酷な人事でもありました。この時は、63、4歳ぐらいだったとされ、奈良の都を思う、強い望郷の念が生じている歌です。

 331について斉藤茂吉は、「旅人の歌は、彼は文学的にも素養の豊かな人であったので、極めて自在に歌を作っているし、寧ろ思想的抒情詩という方面にも開拓していった人だが、歌が明快なために、一首の声調に暈(うん)が少ないという欠点があった。その中にあってこの歌の如きは、さすがに老に入った境界の作で、感慨もまた深いものがある」と言っています。