訓読 >>>
天雲(あまくも)をほろに踏みあだし鳴る神も今日(けふ)にまさりて畏(かしこ)けめやも
要旨 >>>
天雲をばらばらに蹴散らして鳴り響く雷神の恐ろしさも、今日の天皇の恐れ多さにかないましょうか、かないはしません。
鑑賞 >>>
題詞に「太政大臣藤原家の県犬養命婦(あがたのいぬかいのみょうぶ)が天皇に奉った」とある歌。「太政大臣藤原家」は、藤原不比等の尊称、「県犬養命婦」は県犬養東人の娘で、名は三千代。はじめ美努王に嫁して葛城王(橘諸兄)、佐為王(橘佐為)を生んだ後、離婚し、不比等に嫁して安宿媛(あすかべひめ:後の光明皇后)を生んだ女性です。「命婦」は、後宮の女官のことで、自らも出仕して不比等の支えとなりました。天皇は聖武天皇ではないかとされます。
巻第8-1658のところでご紹介した光明皇后による「藤三娘」という自身の署名は、藤原氏の三女という意味、あるいは母・三千代の名を入れたともいわれます。三千代は元は中流貴族の出身でしたが、不比等と結婚した後は、女官として宮廷に大きな影響力を持つようになりました。天武~聖武天皇の歴朝に仕えた功により、和銅元年 (708) 年に、元明天皇から「橘」 の姓を賜わっています。
「ほろに」は、ばらばらに。「あだす」は、荒らす、散らす。「畏けめやも」の「め」は推量、「やも」は反語。天皇が何かのお計らいをなされた時、側近していた命婦として天皇の威光を褒め讃えた歌ですが、国文学者の窪田空穂は「調べが重厚で、物言いの直線的なのに支えられて、調べがただちに感をあらわしているものである。女性の歌としては、珍しいまでに男性的なものである」と評しています。
この歌は、天平勝宝3年(751年)正月に越中で催された宴席において、久米広縄が伝誦したもので、上司の大伴家持が書き留めて、『万葉集』に載ることになりました。