大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(12)・・・巻第20-4384

訓読 >>>

暁(あかとき)のかはたれ時(どき)に島蔭(しまかぎ)を漕(こ)ぎ去(に)し船のたづき知らずも

 

要旨 >>>

明け方の薄暗い時に、島陰を漕いでいった船が今どうしているのか、知りようがない。

 

鑑賞 >>>

 防人たちが、何艘かに別れて船出して行く先発の船を見送っている歌です。「かはたれ時」の「かはたれ」は「彼は誰」で、薄暗くて人の顔がはっきり分からない時の意。本来「たそかれ(誰そ彼)」と「かはたれ(彼は誰)」は、夜明け前や日没後の薄明り頃合いを指して区別することなく用いられていたのが、後に「たそかれ」が日没後、「かはたれ」が夜明け前と区別されるようになったとされます。「たそかれ」は現在も「黄昏時(たそがれどき)」として使われていますが、「かはたれ」の方はすっかり死語になってしまったようです。こちらも十分美しい響きのある魅力的な語だと思うのですが、残念です。

 「島蔭(しまかぎ)」の「かぎ」は「かげ」の方言。「島」は、船を近接させて漕いで行く陸地のことで、海中の島ではありません。「たづき」は、手段、方法。夜明けの薄暗がりの海上で、島に隠れて見えなくなってしまったのを見て、ひどくその船の頼りなさを感じており、それは、ひとりその船だけのものではなく、同時に自身の頼りなさとして感じています。