大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

うちひさす宮に行く子をま悲しみ・・・巻第4-532~533

訓読 >>>

532
うちひさす宮に行く子をま悲(かな)しみ留(と)むれば苦し遣(や)ればすべなし

533
難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)のなごり飽(あ)くまでに人の見む子を我(わ)れし羨(とも)しも

 

要旨 >>>

〈532〉宮中に仕えるために上京する少女が愛おしくて仕方がないが、引き留めれば自分の立場はない、さりとて行かせてしまうのも堪えられない。

〈533〉難波潟の引き潮の後の光景を眺めるように、見飽きるほどこの少女を見られる人が羨ましいことよ。

 

鑑賞 >>>

 作者の大伴宿奈麻呂(おおとものすくなまろ)は、大納言・大伴安麻呂の三男で、旅人の弟。官位は従四位下、右大弁。532の「うちひさす」は、あまねく日の差す意で、「宮」の枕詞。「宮」は、皇居。「ま悲しみ」の「ま」は接頭語で、形容詞「ま悲し」のミ語法。愛しいので。「遣れば」は、行かせれば。「すべなし」は、すべき方法がない、どうしようもない。533の「潮干のなごり」は、潮が引いたあとにできる水溜まり。上2句は、その光景を見飽きない意で、「飽くまでに」を導く譬喩式序詞。「人の見む子」の「人」は、京の人。「見む」は、目をもって愛でることの想像。「我れし」の「し」は、強意の副助詞。「羨しも」の「も」は詠嘆で、羨ましいことよ。

 宮中に出仕する一族の女性を見送る歌ともいわれますが、作者は備後国守として安芸、周防の按察使(あぜち:地方行政の監察官)を兼ねたことがあり、国守として管内の女性を采女(うねめ)として送り出す際、その女性の美貌に心を動かしている歌であるようです。532では、女を引き留めて手許に置きたいが、それをすれば公務に背くことになるので心苦しいと言い、533では、女を京に上らせた後のことを想像して嘆いています。

 「按察使」は、地方行政を監察する令外官のことで、数か国の国守の内から1名を選任し、その管内における国司の行政の監察を行いました。また「采女」は天皇の食事など日常の雑役に奉仕した女官のことで、郡の次官以上の者の子女・姉妹で容姿に優れた者が貢物として天皇に奉られました。天皇以外は近づくことができず、臣下との結婚は固く禁じられました。しかし、宮仕えに出る予定の女性を、部領する役の男が横取りしたという話は、『古事記景行天皇の条の大碓命(おおうすのみこと)ほか、幾つか例があるようです。

 ところで、宿奈麻呂のこの歌は、ひょっとして、大伴坂上郎女を歌ったものではないかと想像しているのは、作家の田辺聖子です。「宿奈麻呂は郎女の異母兄ではあるが、かなり年齢は違っていたろう。郎女は当時、十四、五、六ぐらいか、この才気煥発の美少女は穂積皇子に愛されて、『寵(うつくしみ)を被(かがふ)ること儔(たぐひ)なし』(巻第4-528の左注)という状態だった。郎女を愛していた宿奈麻呂は「人の見む児を我し羨しも」と、せつなかったのかもしれない。二十以上年長と思われる彼は郎女を遠くから眺めているだけだった。穂積皇子が薨じたあと、郎女は藤原麻呂としばらく愛人関係になっていたらしい。宿奈麻呂との結婚はそのあとである。穂積皇子の邸を『うち日さす宮』と表現するのは不適当かもしれない。しかし小説的想像を逞しくすれば、中級官僚にすぎない宿奈麻呂から見ると廟堂の第一人者である穂積皇子のもとへゆく児を、『留むれば苦しやればすべなし』と歌わないではいられなかったかもしれない」。

 

 

 

枕詞あれこれ

あかねさす
「日」「昼」に掛かる枕詞。「赤く輝く」もの、」すなわち太陽を意味する。また、茜(あかね)色に近い「紫」の枕詞にも転用されている。

秋津島蜻蛉島(あきづしま)
「大和」にかかる枕詞。「秋津島」は、日本の本州の古代の呼称で、『古事記』には「大倭豊秋津島」(おおやまととよあきつしま)、『日本書紀』には「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)と、表記している。また「蜻蛉島」は、神武天皇が国土を一望してトンボのようだと言ったことが由来とされている。

朝露の
「消」に掛かる枕詞。朝露は消えやすいところから。

あしひきの
「山」に掛かる枕詞。語義未詳ながら、足を引きずってあえぎながら登る意、山すそを稜線が長く引く意など諸説がある。

あぢむらの
「あぢむら」は、アジガモ(味鴨)。アジガモが群がって騒ぐことから、「騒く」にかかる枕詞。

梓弓(あづさゆみ)
梓弓は、梓の丸木で作られた弓。弓を射る動作から「はる」「ひく」「いる」などに掛かる。また弓に付いている弦(つる)から同音の地名「敦賀」に、弓の部分の名から「末」などにも掛かる。

天伝ふ
「日」に掛かる枕詞。「天(大空)を伝い渡っていく」もの、すなわち太陽を意味し、「日」の修飾ではなく、同格の関係にある。「天知るや」「高照らす」「高光る」なども同様。

天飛ぶや
「鳥」「鴨」に掛かる枕詞。空高く飛ぶことから。また、「雁」を転用して「軽(かる」にも掛かる。

荒妙(あらたへ)の
「藤」に掛かる枕詞。荒妙は、木の皮の繊維で作った粗い布で、おもに藤をその材料としていたことから。

あらたまの
「年」に掛かる枕詞。「あらたま」は、宝石・貴石の原石を指すものと見られるが、掛かり方は未詳。一説に年月が改まる意からとも。ほかに「月」「春」「枕」などに掛かる。

あをによし
「奈良」に掛かる枕詞。奈良坂の付近で青丹(あおに)を産したところから。青は寺院や講堂などの、窓のようになっている部分の青い色、丹は建物の柱などの、朱色のこと。

鯨(いさな)取り
「海」に掛かる枕詞。鯨(いさな=クジラ)のような巨大な獲物がとれる所として海を賛美する語。ほかに「浜」にも掛かる。

石上(いそのかみ)
「石上」は、今の奈良県天理市石上付近で、ここに布留(ふる)の地が属して「石の上布留」と並べて呼ばれたことから、布留と同音の「古(ふ)る」「降る」などに掛かる枕詞。

うちなびく
「春」に掛かる枕詞。春は草木が打ち靡く季節であるから。

打ち日さす
「宮」「都」に掛かる枕詞。日の光が輝く意から。

うつそみの
「人」「世」に掛かる枕詞。語源は「現(うつ)し臣(おみ)」で、この世の人、現世の人の意。「臣」は「君」に対する語で、神に従う存在をいう。ウツシオミがウツソミと縮まり、さらにウツセミに転じた。

鶉(うづら)鳴く
「古る」に掛かる枕詞。ウズラは、草深い古びた所で鳴くことから。

味酒(うまさけ)
「三輪」に掛かる枕詞。「うまさけ」の「ウマ」は、現代語に「うまい」と残っているが、恋人との充実した共寝を「うま寝」というように、甘美な素晴らしさをいう語。「サケ」は栄える、境のサカ、花が咲くのサクなど、境界や先端部の異境の霊威を強く感じている語なので、「うまさけ 三輪」は、三輪が神々の霊威の溢れている場所であることを表現している。また、三輪山のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにも掛かる。

押し照る
地名の「難波」にかかる枕詞。上町台地からながめた大阪湾が夕陽で一面に光り輝く様をあらわす。かつては上町台地が大阪湾に面する海岸だった。

沖つ藻(も)の
「靡く」に掛かる枕詞。海藻は波に靡くところから。

『万葉集』掲載歌の索引