大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

玉梓の使ひも来ねば・・・巻第16-3811~3813

訓読 >>>

3811
さ丹(に)つらふ 君がみ言(こと)と 玉梓(たまづさ)の 使(つか)ひも来(こ)ねば 思ひ病(や)む 我(あ)が身ひとつそ ちはやぶる 神にもな負(お)ほせ 占部(うらへ)すゑ 亀(かめ)もな焼きそ 恋ひしくに 痛き我(あ)が身そ いちしろく 身にしみ通り むら肝(きも)の 心(こころ)砕(くだ)けて 死なむ命(いのち) にはかになりぬ 今さらに 君か我(わ)を呼ぶ たらちねの 母の命(みこと)か 百(もも)足(た)らず 八十(やそ)の衢(ちまた)に 夕占(ゆふけ)にも 占(うら)にもそ問ふ 死ぬべき我(わ)がゆゑ

3812
占部(うらへ)をも八十(やそ)の衢(ちまた)も占(うら)問(と)へど君を相(あひ)見むたどき知らずも

3813
我(わ)が命(いのち)は惜(を)しくもあらずさ丹(に)つらふ君によりてぞ長く欲(ほ)りせし

 

要旨 >>>

〈3811〉あなたの言葉を伝える使いもやって来ないので、嘆いて病んでいる我が身です。この病を神のせいにしないで下さい。占い師に頼んで亀の甲を焼いたりしないで下さい。あなたを恋しく思って病んでいる我が身なのです。恋しさがはっきりと身に染みとおり、心も砕け失せて、今にも死にそうな命になってきました。今さら、あなたなのか、私の名をお呼びなのは、それとも母上なのか。道の寄り集まる辻に立って、どなたかが夕占いをする声なのかな、死んでゆく私のために。

〈3812〉占い師に頼んだり、道の寄り集まる辻で占いをしたところで、あの方に逢える手だてなど知られない。

〈3813〉私の命など惜しくありません。ただ美しいあなたゆえに長く生きたいと思うのです。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「夫(せ)の君に恋ふる歌」とあり、左注に次のような説明があります。「右の歌には言い伝えがある。あるとき娘子がいた。姓は車持氏であった。その夫は久しく通って来なかった。娘子は恋しく思うあまり心を痛め、病の床に臥せってしまった。日増しに体は痩せ衰え、間もなく死に瀕する状態になった。そこで使いを遣って夫を来させた。娘子はすすり泣き、涙を流しながらこの歌を口ずさんでそのまま亡くなったという」

 3811の「さ丹つらふ」は、つややかな、の意で「君」の枕詞。「玉梓の」は「使ひ」の枕詞。「ちはやぶる」は「神」の枕詞。「占部」は、占いをする人。「いちしろく」は、著しく、はっきりと。「むら肝の」は「心」の枕詞。「たらちねの」は「母」の枕詞。「百足らず」は「八十」の枕詞。「八十の衢」の「八十」は、数の多いこと、「衢」は、辻。「夕占」は、夕方、辻に立って、通行人の物言いによって吉凶を占うこと。3812の「たどき」は、手段、手がかり。3813は「或る本の反歌に曰く」とある歌です。