大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(1)・・・巻第15-3723~3726

訓読 >>>

3723
あしひきの山路(やまぢ)越えむとする君を心に持ちて安けくもなし

3724
君が行く道の長手(ながて)を繰(く)り畳(たた)ね焼き滅ぼさむ天(あめ)の火もがも

3725
わが背子(せこ)しけだし罷(まか)らば白たへの袖(そで)を振らさね見つつ偲(しの)はむ

3726
このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥(たまくしげ)明けてをちよりすべなかるべし

 

要旨 >>>

〈3723〉山道を遠く越えて行こうとされるあなたのことが気がかりでならず、心が安まりません。

〈3724〉あなたが行く道の長さを思うと、それをたぐり寄せて折り畳み、焼き滅ぼしてしまいたい。そんな天の火があったらいいのに。

〈3725〉いとしいあなた、もしも遠くの国へ下って行かれるなら、真っ白な衣の袖を振ってください。それを記憶にとどめてあなたのことをお偲びしますから。

〈3726〉今のうちはまだ恋い焦がれながらも我慢できましょう。でも、一夜明けた明日からはどうして過ごしてよいのか分かりません。

 

鑑賞 >>>

 巻第15の後半には、中臣宅守(なかとみのやかもり:中臣東人の7男)と狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)の贈答歌63首が収められています。天平12年はじめ、中臣宅守が狭野弟上娘子を娶ったとき、勅勘にあって越前国福井県)味真野(あじまの)に配流されました。狭野弟上娘子は伝未詳ながら、『万葉集』の目録には蔵部の女嬬(下級の女官)だったとあります。配流の原因ははっきりしていませんが、娘子が神に仕える役所の女嬬で、宅守自身も神祇官であったことから、当時の風俗に触れる禁じられた恋だったとする説が有力です。

 ここの4首の歌は、弟上娘子が宅守との別れに臨んで作った歌です。3723は悲劇の発端を告げる歌で、「あしひきの」は「山」の枕詞。3724では、娘子自身が火であるかのような、激しい情熱がほとばしっています。味真野は流刑地としてはそう遠くありませんでしたが。娘子にとって二人を引き裂く道のりは遥かに遠かったのです。斎藤茂吉はこの歌を評し「強く誇張していうところに女性らしい語気と情味とが存じている。娘子は古歌などをも学んだ形跡があり、文芸にも興味を持つ才女であったらしいから、『天の火もがも」』などという語も比較的自然に口より発したのかもしれない」と言っています。「もがも」は、願望の終助詞。

 国文学者の窪田空穂は「行くべき道さえ無くなれば、行かずに済むときめての願望である。天の火はそうしたこともできるとし、その現われを願っている心で、さながら童のような空想である。しかし調べは、思い詰めた心よりの語であることを示しているものである。全く理を失って、いわゆる情痴に陥った心であるが、それをあらわす語は、続きが確かで、破綻のないもの」と述べ、一方、歌人で国文学者の土屋文明は、「『万葉集』の、ありのままの感情をうたう純な歌境にあっては、弟上娘子の歌は理知的であり、真率な心の叫びというよりは、かなり誇張したしぐさ、芝居じみた所が目立つ」と評しています。

 3725の「わが背子し」の「し」は、強意。「けだし」は、もしあるいは。「白たへの」は「袖」の枕詞。3726の「玉櫛笥」の「玉」は美称で、櫛箱(化粧箱)のこと。櫛には女の魂が宿るとされ、櫛は立派な蓋つきの箱に収めていました。その蓋を開けるところから「明けて」の枕詞。「をち」は以後、将来。「すべなかるべし」は、手段のないことであろう。