大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

山人の心も知らず山人や誰・・・巻第20-4293~4294

訓読 >>>

4293
あしひきの山行きしかば山人(やまびと)の我れに得(え)しめし山づとぞこれ

4294
あしひきの山に行きけむ山人(やまびと)の心も知らず山人や誰(たれ)

 

要旨 >>>

〈4293〉人里離れた山を歩いていたら、その山に住む山人が私にくれた山のお土産なのです、これは。

〈4294〉わざわざ、人里離れた山まで行かれたという山人のお気持ちもはかりかねます。お会いになった山人とは、いったい誰のことなのでしょう。

 

鑑賞 >>>

 4293は、元正太上天皇が山村に行幸した時、上皇がお供の親王や臣下たちに「この歌に返歌を作って奏上しなさい」と仰せられながら詠んだ御歌。「あしひきの」は「山」の枕詞。「我に得しめし」は、私に与えた。「山づと」は、山で採れた土産。「山人」は、山に住んでいる人の意ですが、天皇が尊んで言っているので、ここでは仙人を意味します。この時代に流行っていた神仙思想に基づいています。

 4294は、上皇の御製に対し、人皇(とねりのみこ)が和した歌。上皇の御所を仙洞御所と呼んでいたことから、上皇を「仙女」にたとえて戯れています。つまり、仙人が仙人に逢ったとは解しかねる、と言っています。窪田空穂は、「(天皇の)御歌の語に即しつつも、内容はすっかり変え、今日山にいらっしゃったという天皇は、すでに人界を超えた仙人でいらっしゃるのに、それとも知らずに、仙人の振舞いをした人は誰であるぞ、といって、天皇のすでに不老不死の仙人でいらせられることを、和え歌の形をもって賀したのである。行幸の際は賀歌を奉るのが習いとなっていたので、山踏みをなされた天皇を、御歌と同じく仙人につなぎ合わせるということは、この場合不自然ではなかったのである。和え歌という条件の下に、賀の心を安らかに言いおおせて、しかも高い意気を示しているところ、すぐれた技巧である」と評しています。

 人皇天武天皇の第三皇子で、後に『日本書紀』編纂に携わり、中心的な役割を果たしたとされます。「舎人」の名は、乳母が舎人氏であったところから称せられたのではないかといわれます。『万葉集』には3首の歌を残しています。735年没。