大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

ゆりと言へるは否と言ふに似る・・・巻第8-1503

訓読 >>>

我妹子(わぎもこ)が家(いへ)の垣内(かきつ)のさ百合花(ゆりばな)ゆりと言へるは否(いな)と言ふに似る

 

要旨 >>>

あなたの家の垣根の内に咲いている百合の花、その名のように、ゆり(後で)と言っているのは、嫌だと言っているように聞こえる。

 

鑑賞 >>>

 朝臣豊河(きのあそみとよかわ)の歌。紀朝臣豊河は、天平11年(739年)に外従五位下になった人で、『万葉集』にはこの1首のみ。上3句は「ゆり」を導く序詞。「垣内」は、垣根の内。「さ百合花」の「さ」は美称。「ゆり」は、後日、後に、の意の古語。言葉の戯れのようにも聞こえますが、真剣に恋している男の歌です。

 この歌について、窪田空穂は次のように言っています。「求婚ということを中に置いての男女の心理の機微を、いみじくもあらわしているものである。結婚前の女の心理として、本来消極的である上に、警戒心が強く働くところから、一応躊躇するのは当然なことである。反対に男は、積極的である上に、情熱的となっているので、女のその態度をあきたらずとして、否といったのに似ていると感じるのも、これまた当然である」。

 

 

 

窪田空穂について

 窪田空穂(くぼたうつぼ:本名は窪田通治)は、明治10年6月生まれ、長野県出身の歌人、国文学者。東京専門学校(現早稲田大学)文学科卒業後、新聞・雑誌記者などを経て、早大文学部教授。

雑誌『文庫』に投稿した短歌によって与謝野鉄幹に認められ、草創期の『明星』に参加。浪漫傾向から自然主義文学に影響を受け、内省的な心情の機微を詠んだ。また近代歌人としては珍しく、多くの長歌をつくり、長歌を現代的に再生させた。

万葉集』『古今集』『新古今集』など古典の評釈でも功績が大きく、数多くの国文学研究書がある。詩歌集に『まひる野』、歌集に『濁れる川』『土を眺めて』など。昭和42年4月没。