訓読 >>>
御食(みけ)向(むか)ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる
要旨 >>>
南淵山の山肌の巌には、はらはらと降った淡雪がまだ消えずに残っている。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から、「弓削皇子に献上した歌」とある歌。弓削皇子は、天武天皇の第9皇子。「御食向ふ」は「南淵山」の枕詞。「南淵山」は、明日香村稲淵の山。「はだれ」は、薄く降る雪。この歌には何某かの寓意があるのではと指摘されますが、斎藤茂吉は「学者等の一つの迷いである」として、「叙景歌として、しっとりと落ち着いて、重厚にして単純、清厳ともいうべき味わい」と言っており、国文学者の池田彌三郎は、「春先の雪を歌っているのだから、この歌は初春の言寿(ことほぎ)の歌で、それを弓削皇子に献上したのだ」と言っています。南淵山と皇子との関係は不明。
略体歌について
『万葉集』に収められている『柿本人麻呂歌集』の歌は360首余ありますが、そのうち210首が「略体歌」、残り150首が「非略体歌」となっています。「非略体歌」とは、「乃(の)」や「之(が)」などの助詞が書き記されているスタイルのものをいい、助詞などを書き添えていないものを「略体歌」といいます。
たとえば巻第11-2453の歌「春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ」の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、わずか10文字という、『万葉集』の中でも最少の字数で表されています。
このような略体表記の歌の贈答(相聞往来)が実際になされたとすると、お互いに誤読や誤解釈のリスクがあったはずです。その心配がなかったとすれば、男女双方の教養が、同化して一体のレベルにあり、省略した表記を、双方が十分理解できていたことになります。一方で、秘密の書簡往来を行っていた証で、他者からの読解を防いでいたということなのかも知れません。後で人麻呂が歌を編集したときのの独特な表記方法だとみる解釈があるものの、非略体表記も存在しているので、説得力に乏しく、略体歌の存在は今も謎となっています。