大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

奥山の菅の葉しのぎ降る雪の・・・巻第3-299

訓読 >>>

奥山の菅(すが)の葉しのぎ降る雪の消(け)なば惜(を)しけむ雨な降りそね

 

要旨 >>>

奥山の菅の葉を覆い、降り積もった雪が消えるのは惜しいから、雨よ降らないでおくれ。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「大納言大伴卿の歌一首 未だ詳ならず」との記載があり、大伴旅人の作とみる説があるものの、この巻は大体年代順となっており、その比較考証から、作者は旅人の父である大伴安麻呂とされます。大納言であるために、尊んで名を記さず、三位以上の敬称である卿を用いたもので、本巻の撰者にとって問題になることではなかったとみえます。したがって、「未だ詳ならず」の注記は後人が加えたものとわかります。

 「菅」は、自生する草。ここでは山菅。「しのぎ」は、押さえつけて、押し分けて。「雨な降りそね」の「な~そ」は、禁止。「ね」は、願望。

 大伴安麻呂は、右大臣・長徳(ながとこ)の第6子、旅人・田主・宿奈麻呂・坂上郎女らの父にあたります。672年の壬申の乱では、叔父の馬来田(まぐた)、吹負(ふけい)や兄の御行(みゆき)とともに天武側について従軍して功をあげました。天武政権になって後は功臣として重んぜられ、新都のための適地を調査したり、新羅の使者接待のため筑紫に派遣されたりしました。和銅7年(714年)5月に死去した時は、大納言兼大将軍・正三位の地位にあり、佐保に居宅があったため、「佐保大納言卿」と呼ばれました。