大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

常世にと我が行かなくに・・・巻第4-723~724

訓読 >>>

723
常世(とこよ)にと 我(わ)が行かなくに 小金門(をかなと)に もの悲(がな)しらに 思へりし 我(あ)が子の刀自(とじ)を ぬばたまの 夜昼(よるひる)といはず 思ふにし 我(あ)が身は痩せ(や)せぬ 嘆くにし 袖(そで)さへ濡(ぬ)れぬ かくばかり もとなし恋ひば 故郷(ふるさと)に この月ごろも ありかつましじ

724
朝髪(あさかみ)の思ひ乱れてかくばかりなねが恋ふれそ夢(いめ)に見えける

 

要旨 >>>

〈723〉あの世に私が行ってしまうわけでもないのに、門口で悲しそうにしていた我が子よ。留守中に私に代わってつとめる刀自(主婦)のことを思うと、夜も昼も心配で私はやせてしまった。嘆くあまりに着物の袖は涙で濡れてしまった。これほど気がかりでやたらに恋しくては、ここ故郷の跡見の庄には、そう何か月もいられないだろう。

〈724〉寝起きの髪のように思い乱れて、おねえちゃんのお前が恋しがるからか、夢にお前の姿が出てくる。

 

鑑賞 >>>

 大伴坂上郎女が、何某かの用事で出かけて行った跡見(とみ)の庄(たどころ)から、奈良の家に留まっている娘の大嬢に贈った歌。「跡見の庄」は、桜井市外山にあったのではないかとされる大伴氏の田所(たどころ:領地)。「大嬢」は郎女の長女で、後の大伴家持の妻。なお、左注に「大嬢が奉る歌に報へ賜ふ」とありますが、大嬢が郎女に贈った歌は残っていません。わずかな期間の別れにもかかわらず、ずいぶん寂しがっていたのでしょう。

 723の「常世」は、ここでは死後の国。「小金門」の「小」は接頭語、「金門」は門とされるものの、どのような門か未詳。「刀自」は、家の主婦。ここでは、母親の留守中、主婦の立場にある相手、すなわち娘の大嬢をこう呼んだもの。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「もとな」は、やたらに、みだりに。「し」は、強意。「故郷」は、ここでは跡見。724の「朝髪の」は「思ひ乱る」の枕詞。「なね」は、弟や妹が姉に対していう呼称を母が用いたもの。

 詩人の大岡信は、この長歌を通じて浮かびあがる娘大嬢の姿には実に可憐なものがある、として、次のように言っています。「彼女は、母が大伴家の荘園にしばらく滞在しに出かける時、門口に立って『もの悲しらに』うち沈んだ表情で見送っている。その様子は、まるで母親が二度と帰ってこないと思っているかのように、うちしおれていたので、母の目にそれが焼き付いた。それが気になって仕方がない母の情がこの一編の長歌のモチーフだが、娘のこうした肖像を描くのに、門口にたたずんでいる印象的な姿だけをとりだしてきたのは坂上郎女の手腕。この単純化によって、歌の中の娘の姿は生彩を放つものになった」