訓読 >>>
525
佐保川(さほがは)の小石踏み渡りぬばたまの黒馬(くろま)の来る夜は年にもあらぬか
526
千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波やむ時もなし我(あ)が恋ふらくは
527
来(こ)むと言ふも来(こ)ぬ時あるを来(こ)じと言ふを来(こ)むとは待たじ来(こ)じと言ふものを
528
千鳥鳴く佐保の川門(かはと)の瀬を広み打橋(うちはし)渡す汝(な)が来(く)と思へば
要旨 >>>
〈525〉天の川ならぬ佐保川の小石を踏みながら渡って、あなたを乗せた黒馬が来る夜は、年に一度はあってくれないものでしょうか。
〈526〉千鳥が鳴く佐保の川瀬のさざ波のように、やむときもありません、あなたを恋い焦がれるこの思いは。
〈527〉来るとおっしゃりながらいらっしゃらない時があるのに、まして来ないとおっしゃるなら来られるとお待ちしません。あなたがそうおっしゃるのですもの。
〈528〉千鳥が鳴いている佐保川の渡し場の瀬が広く、渡りにくいので橋板を架けます。あなたがいらしゃると思って。
鑑賞 >>>
大伴坂上郎女が藤原麻呂の522~524の歌に答えた歌です。525で、麻呂と同じく七夕の牽牛を暗示しつつ、滅多に訪れてくれない麻呂への恨みを歌っています。「佐保川」は、奈良市・大和郡山市を流れる川。「ぬばたまの」は「黒馬」の枕詞。526の上3句は「やむ時もなし」を導く序詞。527では、「こむ・こぬ・こじ・こむ・こじ」と「こ」を5連発しており、なかなかやって来ない麻呂をからかったものとみえます。528の「打橋」は、板を渡して自由に掛け外しできる簡単な橋。多くの場合、通ってくる夫を迎える時に、女が渡しました。
左注には次のような記述があります。「郎女は佐保大納言卿(大伴宿祢安麻呂)の娘である。はじめ一品(いっぽん)穂積皇子(ほづみのみこ)に嫁ぎ、とても厚い寵愛を受けた。皇子が亡くなったあと、藤原麻呂大夫が郎女に求婚した。郎女は坂上の里に住んでいた。そこで一族の者は坂上郎女と呼んだ」。「坂上の里」は、奈良市法華寺町西北付近の丘陵地あたりとされます。