大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大伴家持と紀女郎の歌(6)・・・巻第8-1510

訓読 >>>

なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我(わ)が標(し)めし野の花にあらめやも

 

要旨 >>>

なでしこは咲いて散ったと人は言いますが、私が標をした野のなでしこでしょうか、そんなはずはない。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持が、紀女郎に贈った歌。「標め」は、自分のものとしてつける目印。「あらめやも」の「やも」は、反語。あるはずがない。なでしこを女郎に譬え、「他人は心変わりのことを色々と言うけれど、あなたは心変わりするはずはないですよね」との意味が込められています。女郎の答えた歌は載っていません。
 
 詩人の大岡信は、家持と紀女郎の関係を歌から推測し(とくに1460・1461)、笠女郎などの場合とは違って、紀女郎は、性的な関係においてもおそらく満足すべき間柄を持ち得た女性だったろうと言っています。「彼女は家持よりだいぶ年上だったと想像されるものの、家持にとってはきわめて快適な、成熟した女だったと思われる。機知に富み、男を手玉に取ることも心得ているうえに、気配りのいい女性だったと想像されるからだ」と。作家の大嶽洋子も、「快適で、成熟した関係」と評しています。