大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

我れゆ後生まれむ人は・・・巻第11-2375~2376

訓読 >>>

2375
我(わ)れゆ後(のち)生まれむ人は我(あ)がごとく恋する道に逢(あ)ひこすなゆめ
2376
ますらをの現(うつ)し心(ごころ)も我(わ)れはなし夜昼(よるひる)といはず恋ひしわたれば
2377
何せむに命(いのち)継ぎけむ我妹子(わぎもこ)に恋ひぬ前(さき)にも死なましものを

 

要旨 >>>

〈2375〉私より後に生まれてきた人は、この私のように恋に落ちて苦しい目にあってはいけない、決して。

〈2376〉男らしく堂々とした男子だと自分のことを思っていたが、正気さえ失ってしまった。夜となく昼となく、ただただ彼女が恋しいばかりで。

〈2377〉なぜ命を保ち続けてきたのだろう。あの子に恋い焦がれる前に死んでしまえばよかったのに。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2375の「我れゆ」は、我より。「逢ひこすな」の「こす」は、何かをしてくれるの意で、希望を表す動詞。「ゆめ」は、強い禁止の副詞。決して、ゆめゆめ。2376の「現し心」は、正気、平常心。「恋ひしわたれば」は、恋をし続けているので。2377の「何せむに」は、何のために。「死なましものを」の「まし」は、反実仮想。

 作家の田辺聖子は、2375について「男の歌とは出ていないが、この口吻は男っぽい。自嘲の嘆息が聞こえてくるようである。女の歌にはない苦みがあり、やや理屈っぽい言い回しである。もし女なら、そんなことは言わない。恋する女は自分のことに手いっぱいで、あとから生まれてくる赤の他人のことなんか、知ったことではない、というであろう」、また2376について「男の恋は省察を伴うものらしい。理性を失っているな、と気づく理性が男にはある」と述べています。