大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

うち靡く春来るらし・・・巻第8-1422

訓読 >>>

うち靡(なび)く春(はる)来(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば

 

要旨 >>>

どうやら春がやってきたらしい。遠い山際の木々の梢に次々と花が咲いていくのを見みると。

 

鑑賞 >>>

 尾張(おわりのむらじ)の歌。尾張連の「連」は姓(かばね)で「名は欠けている」とあり未詳。万葉集には2首残しています。尾張氏は『日本書紀』によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、古来、后妃・皇子妃を多く出したと伝えられる氏族です。

 「うち靡く」は、春の草木がやわらかく靡く意で、「春」の枕詞。「山の際」は、山と山の合間、山の稜線。「遠き木末」は、奥まったほうの樹木の梢。前の歌と同じく花の名前は言っていませんが、こちらも桜とみられます。『万葉集』では、このように桜の花の花名を略して詠まれている歌が少なくありません。斎藤茂吉はこの歌を評し、ゆったりとした迫らない響きを感じさせ、春の到来に対する感慨が全体にこもり、特に結句の「見れば」のところに集まっているようだ、と言っています。

 なお、巻第8-1865に、「うち靡く春さり来らし山の際の遠き木末の咲きゆく見れば」という、作者未詳の類似歌があります。