訓読 >>>
1770
みもろの神の帯(お)ばせる泊瀬川(はつせがは)水脈(みを)し絶えずは我(わ)れ忘れめや
1771
後(おく)れ居(ゐ)て我(あ)れはや恋ひむ春霞(はるかすみ)たなびく山を君が越え去(い)なば
要旨 >>>
〈1770〉みもろの神が帯となさっている泊瀬川、この水の流れが絶えない限り、私があなたを忘れることがあろうか。
〈1771〉後に残された私は恋い焦がれてばかりいるでしょう。春霞がたなびく山を、あなたが越えて行ってしまわれたなら。
鑑賞 >>>
大神大夫(おおみわだいぶ)が長門守に任ぜられた時(702年)に三輪の川辺に集まって送別の宴をした歌。大神大夫は三輪高市麻呂(みわのたけちまろ)。壬申の乱の際。大海人皇子側について勝利に貢献。後に持統天皇の農事での行幸に自らの感触をかけて諫める等、天武・持統・文武の3天皇に仕えました。宴の場に三輪の川辺が選ばれたのは、大神氏が三輪山を奉斎する一族だったからです。
1770の「みもろ」は神が降臨する場所。ここでは三輪山。「泊瀬川」は初瀬の渓谷に発し、三輪山をまわって佐保川に合流し、大和川となる川。「水脈」は水の流れる筋。「忘れめや」の「や」は反語。1770は本人、1771は妻の立場の歌。
「みもろ」または「神なび」と呼ばれる山は、山容が秀麗なばかりでなく、その山裾を川が巡るように流れている必要がありました。その川を山が「帯」にしているという意味で、擬人化して「帯(お)ばせる」「帯にせる」などと表現されています。三輪山の山裾を流れる泊瀬川は、三輪山の霊威を下界に及ぼす川と信じられていました。